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西日本鉄道宮地岳線の歴史

博多湾鉄道の歴史

出来事 関連事項
1889(明治22)年4月1日    糟屋郡箱崎町、香椎村、多々良村、和白村、志賀島村、新宮村、立花村、席内(むしろうち)村(筵内・古賀・久保・庄・鹿部)、小野村、青柳村、宗像郡津屋崎村、宮地村、勝浦村、下西郷村、上西郷村発足。
1890(明治23)年    海軍が糟屋郡須恵村大字新原に新原採炭所を開設。
1890(明治23)年9月28日    九州鉄道博多〜赤間間開通。箱崎、香椎、古賀、福間、赤間駅開設。
1896(明治29)年1月  博多湾の海と陸の連絡と粕屋炭田開発のために博多湾鉄道株式会社創立(?)。筆頭株主は岩谷松平(「天狗煙草」で財を成した薩摩出身の煙草王。奇抜な広告でも有名)。本社は東京にあった。
 社長は佐藤暢。この人も薩摩で、司法省を経て陸軍に入った人らしい。後に明治27年1月20日〜明治30年4月7日栃木県知事を勤める。
 当初、金印出土地志賀島に程近い岬の先にある港町西戸崎と、岬の付け根和白を経て福岡市・鞍手郡勝野・粕屋郡宇美を結ぶ予定だった。
 岩谷松平氏は1849(嘉永2)年6月3日薩摩国隈之城郷向田町(現・鹿児島県薩摩川内市向田町)生まれ。1877(明治10)年の西南戦争で家を焼かれ、東京へ。1884年ごろ、銀座に「岩谷商店」を出店。国産初の紙巻煙草の店とされる。天狗の商標が話題になり、広告の元祖とも言われる。1904(明治37)年「煙草専売法」公布。1920(大正9)年死去。
 
1897(明治30)年6月4日    津屋崎村が町制施行して津屋崎町に。
1898(明治31)年2月    徴兵保険株式会社(後の東邦生命保険相互会社)設立。
1898(明治31)年11月7日  志賀島〜鞍手郡宮田村、鞍手郡宮田村〜鞍手郡植木、鞍手郡宮田村〜弓削山、糟屋郡和白村奈多〜糟屋郡篠栗村、香椎〜宇美の仮免状取得(84.1km)。  
1899(明治32)年10月20日    津屋崎鉄道が津屋崎〜大穂(おおぶ)町〜若宮〜飯塚〜大分(だいぶ)(45.4km)の仮免状を取得。1902(明治35)年返納。
1900(明治33)年2月  博多湾鉄道会社設立(?)。糟屋郡志賀村西戸崎地区(現・福岡市東区西戸崎)に石炭の積出港を建設して、粕屋炭田や筑豊炭田の石炭を西戸崎まで運ぶのが目的だったとされる。  
1900(明治33)年6月13日  (1900年設立説による)
 糟屋郡志賀村西戸崎〜宇美、糟屋郡多々良村土井〜糟屋郡篠栗村、糟屋郡和白村奈多〜鞍手郡直方町中泉、鞍手郡宮田村〜宇美(鞍手郡宮田村〜鞍手郡植木町?)の免許取得(88.7km)。
 
1901(明治34)年6月29日  奈多〜中泉、宮田〜宇美の免許失効(52.8km)。  
1902(明治35)年  2度の計画変更の後、粕屋郡開発を主目的とする事にして着工。  
1903(明治36)年12月26日  宇美〜吉井(浮羽郡)の仮免状取得(41.3km)。のちに失効。  
1903(明治36)年12月  糟屋線(現・JR香椎線)西戸崎〜須恵間が完成。本社と福岡市行町(現・博多区奈良屋町)の出張所を統合し、西戸崎駅前に本社移転。  
1903(明治36)年12月29日  西戸崎で開業式。  
1904(明治37)年1月1日  糟屋線(現・JR香椎線)西戸崎〜須恵間(21.2km)営業開始。当時の駅は、西戸崎、奈多(後に移転して雁の巣と改称)、香椎、土井、長者原(現・伊賀)、酒殿、須恵。  
1904(明治37)年2月8日    日露戦争勃発。
1904(明治37)年6月  新原まで仮線開通。石炭列車を走らせる。  
1905(明治38)年1月24日  糟屋線(現・JR香椎線)和白簡易停車場新設。  
1905(明治38)年6月1日  糟屋線(現・JR香椎線)須恵〜新原間(2.2km)が開業。新原駅開業。  
1905(明治38)年7月21日  糟屋線(現・JR香椎線)酒殿駅閉鎖。  
1905(明治38)年12月29日  糟屋線(現・JR香椎線)須恵〜宇美間(1.2km)が開業。宇美駅開業。  
1905(明治38)年度中  宇美〜吉井の仮免状失効(41.3km)。  
1906(明治39)年1月〜3月?    合資会社津屋崎馬車鉄道設立。
1906(明治39)年7月21日    合資会社津屋崎馬車鉄道の特許取得(馬力・2.5尺・約4.3km)。
  1. 本線 下西郷村福間停車場〜津屋崎町新川端
  2. 支線 宮地村宮司薬師〜同宮司前田
1906(明治39)年12月21日    特許の合資会社津屋崎馬車鉄道を株式会社津屋崎軌道に組織、社名変更認可。
1907(明治40)年4月10日    津屋崎軌道の特許の軌間を2.5尺から3尺に変更認可。
1907(明治40)年7月1日    九州鉄道(現在のJR鹿児島線など)が国有化。
1907(明治40)年7月12日  土井〜篠栗、酒殿〜原町の免許失効(10.4km)。
 酒殿〜原町の免許をいつ取得したのか不明。
 
1907(明治40)年11月9日  酒殿〜志免の仮免状取得(1.9km)。  
1908(明治41)年3月10日    津屋崎軌道の下西郷村根来町地内貨物支線約0.2km特許取得。明治44年2月14日に不要のため特許取り消し。
1908(明治41)年4月21日  酒殿〜志免の免許取得(1.9km)。  
1908(明治41)年4月28日    津屋崎軌道が現JR福間駅から宮司薬師を経て宮司(前田)を開通。
1908(明治41)年6月1日    国有の八代〜人吉間が開業。それまでの八代線を人吉線と改称。
1908(明治41)年9月28日    津屋崎軌道設立(?)
1908(明治41)年10月1日  糟屋線(現・JR香椎線)長者原駅を伊賀駅に改称。  
1908(明治41)年12月24日    津屋崎軌道の経路変更認可。本・支線を一本化して短縮。
1909(明治42)年4月1日    津屋崎町と宮地村が合併。津屋崎町に。
 下西郷村が町制施行の上改称し、福間町に。
1909(明治42)年8月1日  糟屋線(現・JR香椎線)酒殿〜志免海軍炭鉱貯炭場付近(志免駅?)間(貨物支線)が開業(1.7km)。酒殿駅再開業。  
1909(明治42)年8月12日    津屋崎軌道の宮司(前田)〜津屋崎(新川端)開通。
1909(明治42)年10月12日    国有の門司(現在の門司港)〜人吉間の名前が人吉本線になる。
1909(明治42)年11月21日    国有の人吉〜吉松間が開業。門司(現在の門司港)〜人吉〜鹿児島間が鹿児島本線となる。
1911年5月17日    国有の吉塚〜博多間が篠栗線用の単線を転用して複線化。
1912(大正1)年9月5日    宗像軌道が赤間駅〜釣川〜宗像大社〜神湊(9.7km)の特許取得。1913(大正2)年4月の東郷駅開業により1914(大正3)年10月20日に東郷駅からの計画(8.2km)に変更して特許を得る。1918(大正7)年6月20日に特許取り消し。
1913(大正2)年7月19日    東筑軌道が東郷〜(朝町川沿い)〜若宮町(11.2km)の特許を取得。
 1914(大正3)年6月8日に起点を福間駅(16.7km)に変更。
 1915(大正4)年に糟屋郡箱崎町に会社設立。
 1918(大正7)年10月30日に工事施工の許可を取得。
 博多湾鉄道の和白〜福間の計画に呼応して1919(大正8)年6月28日に工事中の福間町〜若宮町間の免許を取得。
 1919(大正8)年8月4日に免許を博多湾鉄道に譲渡。
1935(昭和10)年6月11日に免許取り消し。
1914(大正3)年3月10日    鞍手軌道が鞍手郡若宮村(福丸)〜同郡香井田村を開業。
1914(大正3)年4月11日  糟屋線(現・JR香椎線)志免〜旅石の免許取得(1.2km)。  
1915(大正4)年3月11日  糟屋線(現・JR香椎線)酒殿からの貨物線を旅石まで延長。志免〜旅石開業(1.2km)。  
1915(大正4)年6月12日    鞍手軌道が鞍手郡香井田村大字龍徳〜同郡新入村開業(鉄道省線と接続)。
1915(大正4)年10月28日    鞍手軌道が鞍手郡新入村〜同郡直方町開業。
1917(大正6)年8月10日  国有の箱崎〜吉塚間が複線化。  
1918(大正7)年3月27日  軽便鉄道法指定。  
1918(大正7)年12月31日    九州電気軌道が折尾〜福岡への路線延長を出願。1919(大正8)年12月18日に折尾町〜上辻堂町(博多駅)(47.3km)の特許を取得。その後起点を黒崎町に変更(53.6km)。経路は黒崎〜直方〜若宮〜山口〜上西郷〜福間〜(鹿児島本線に併走)〜博多。後に修正し、直方を通らず現在の新幹線に近いルートで赤間駅南方に到達する計画に。
 1928(昭和3)年9月に福岡延長線建設部を設置、用地買収に乗り出す。1930(昭和5)年11月28日に津屋崎町宮司付近約20kmの工事施行認可を得たものの中止。1931(昭和6)年12月に廃止決定。1933(昭和8)年7月3日に起業廃止の上、門司〜黒崎〜博多のすべての特許状を返納。1933(昭和8)年8月7日に特許失効。
1919(大正8)年5月6日    筑州鉄道が赤間駅〜筑前植木駅(15.3km)の免許を取得。会社も設立できずに1924(大正13)年6月21日に免許取り消し。
1919(大正8)年6月28日  津屋崎村〜若宮村の免許取得(15.8km)。
 福岡〜宮地岳〜津丸(福津市)〜八並(福津市)〜若宮の免許を取得という説もある。
 
1919(大正8)年8月2日  和白〜福間の免許取得(12.0km)。  
1919(大正8)年10月25日  和白〜福岡の免許取得(10.5km)。  

博多湾鉄道汽船の歴史

出来事 関連事項
1920(大正9)年3月25日  博多湾鉄道株式会社が博多湾鉄道汽船株式会社と商号変更。  
1920(大正9)年10月1日    国有の筑前新宮駅開業。
1920(大正9)年11月15日    国有の福間〜古賀間が複線化。
1920(大正9)年  この年海運業に参入。自社船舶での石炭輸送を開始。  
1921(大正10)年1月26日    国有の古賀〜筑前新宮間が複線化。
1921(大正10)年8月1日    国有の筑前新宮〜香椎間が複線化。
1921(大正10)年10月1日    国有の香椎〜箱崎間が複線化。
1921(大正10)年10月21日  若宮村〜飯塚町(若宮〜長井鶴〜南幸袋〜西飯塚)の免許取得(15.1km)。  
1924(大正13)年1月23日  博多湾鉄道汽船、津屋崎軌道と合併(1月1日説もあり)。  
1924(大正13)年7月3日  糟屋線(現・JR香椎線)香椎宮前(現在とは別)仮停留場新設。  
1924(大正13)年5月23日  博多湾鉄道汽船、新博多(後の千鳥橋)〜和白間(10.6km、蒸気)の運輸営業開始。
 この線を「貝塚線」と書いてある資料があるが、当時は貝塚という駅はない。貝塚線と呼ばれていた可能性もあるが、今のところその証拠はない。
 
1925(大正14)年1月    徴兵保険株式会社を第一徴兵保険株式会社に改称。
1925(大正14)年7月1日  博多湾鉄道汽船、和白〜(旧)宮地岳(12.4km、蒸気)の運輸営業開始。新博多(後の千鳥橋)〜(旧)宮地嶽間が開通したことになる。開通区間の当時の駅は新宮港駅新古賀駅福間町(筑前福間?)駅、宮地嶽駅である。  
1925(大正14)年7月11日    道辻〜宮地岳駅前開業(0.2km、馬力)。
1926(大正15)年7月29日    宗像地方鉄道が赤間町(教育大前付近)〜赤間駅〜神湊(11.7km)の免許を取得。1930(昭和5)年3月6日に取り消し。
1927(昭和2)年7月頃  太田清蔵社長(貴族院議員)が政友会幹部の富安保太郎貴族院議員を通じて、小川平吉鉄道大臣に西戸崎〜宇美間と酒殿〜旅石間の国有化を要請。富安は小川に対し、50万円の報酬を約束(五大私鉄疑獄)。
 売却で得た資金で、(旧)宮地岳〜津丸〜八並〜若宮および若宮〜長井鶴〜南幸袋〜西飯塚を建設しようとしたらしい。
 太田清蔵氏は1863(文久3)年生まれ。明治27年に博多電灯を設立し、1902(明治35)年に立憲政友会に入党。明治42年に九州中央自動車株式会社を設立。バス、タクシー事業を行う。1929(昭和4)年私鉄疑獄事件で拘禁。1946(昭和21)年死去。
 ちなみに、この太田清蔵氏は4代目にあたり、5代目は東邦生命保険相互会社の社長だが、浮世絵のコレクターで知られているようだ。
 四男が 博多大丸会長の太田清之助氏で、その次男が前衆議院議員の太田誠一氏らしい。
 
1928(昭和3)年1月  糟屋線(現・JR香椎線)西戸崎〜宇美間と酒殿〜旅石間の国有化を閣議決定。
 月末に太田からということで富安から小川に内金9万5千円が支払われる。
 
1929(昭和4)年  1929年当時の1/20万地勢図(小倉)を見ると、「しんはかた」、「はこざきみやまへ」、「はこざきまつばら」、「名島」、「しんかしひ」、「わじろ」、「みとま」、「しんぐうみなと」、「しんこが」、「ふくままち」、「みやぢたけ」の各駅と、福間駅から宮地嶽神社前を通って津屋崎に至る軌道線が確認できる。  
1929(昭和4)年8月16日  新博多〜(旧)宮地岳の全線を1500V電化。
 この拙速ともいえる電化の背景には、九州電気軌道(後の西鉄北九州市内線)の博多延伸計画への警戒感があったという。
 1925年3月製の客車3両を電車化し、4形電車4両を新造した計7両の電動車でデータイム20〜40分間隔の運行。
 
1929(昭和4)年8月頃  五大私鉄疑獄事件が発覚。  
1929(昭和4)年秋  五大私鉄疑獄事件で熊沢一衛(伊勢電気鉄道社長)、長田桃蔵(奈良電気鉄道専務)等と小川平吉前鉄道大臣等が検挙される。  
1929(昭和4)年11月1日  新古賀駅福間町(筑前福間?)駅間に花見停留所開業。  
1929(昭和4)年12月  4形電車2両新造。  
1930(昭和5)年11月  五大私鉄疑獄事件の公判が東京地裁で開始。  
1931(昭和6)年  乗合バス事業に参入。  
1931(昭和6)年    松本事件(九州電気軌道の4000万円不正手形事件。これにより会社が傾き、福岡延伸計画が頓挫)
1932(昭和7)年7月3日  博多湾鉄道汽船、香椎野球場(新香椎球場説も)開設。  
1933(昭和8)年4月  五大私鉄疑獄事件、東京地裁判決。私鉄関係者は全員無罪。検察は控訴。  
1934(昭和9)年11月  五大私鉄疑獄事件、東京控訴院判決。収賄側3人と贈賄側の5人に有罪判決。被告側上告。
 有罪になったのは、小川平吉(元鉄道大臣)、春日俊文(小川腹心・非公務員)、白井勘助(同)、太田清蔵(博多湾鉄道汽船社長・貴族院議員)、熊沢一衛(伊勢電気鉄道社長)、伊坂秀五郎(伊勢電気鉄道取締役・衆議院議員)、長田桃蔵(奈良電気鉄道専務)、吉川善照(奈良電気鉄道常務)。
 
1935(昭和10)年2月1日  糟屋線(現・JR香椎線)奈多東口停留場開業。  
1935(昭和10)年2月5日  糟屋線(現・JR香椎線)唐原(現在とは別)、長者原(2代目)、本合、下須恵の各停留場開業。香椎宮前仮停留場を停留場に。  
1935(昭和10)年6月11日  津屋崎村〜若宮村(宮地岳〜津丸〜八並〜若宮説も)の免許が失効(15.7km)。  
1935(昭和10)年6月21日  糟屋線(現・JR香椎線)白浜信号場新設。  
1935(昭和10)年6月22日  宇美〜大谷炭砿前の免許取得(0.6km)。  
1935(昭和10)年7月1日  糟屋線(現・JR香椎線)海ノ中道臨時停留場新設。  
1936(昭和11)年1月30日  若宮村〜飯塚市(若宮〜長井鶴〜南幸袋〜西飯塚)の免許が失効(15.1km)。  
1936(昭和11)年7月  10形電車2両新造。  
1936(昭和11)年  大日本雄弁会講談社発行の「日本遊覧旅行地図」では、「新博多」、「箱崎宮前」、「箱崎松原」、「名島」、「新香椎」、「和白」、「三苫」、「新宮港」、「新古賀」、「筑前福間」、「宮地岳」の各駅が確認できる。  
1936(昭和11)年  本社を糟屋郡香椎村浜男682-1(現福岡市東区香椎駅前2丁目)に移転。  
1937(昭和12)年5月  九州電気軌道の子会社である九州土地興業が、神輿村湾鉄終点(宮地嶽駅)以東折尾町までの9万2446坪譲渡。
 この後福門連絡鉄道を出願?臨時資金調整法により却下?
 
1937(昭和12)年5月2日  宇美〜大谷炭砿前の免許失効(0.6km)。  
1937(昭和12)年  この年より博多湾遊覧船を運航。  
1938(昭和13)年  13形電車1両が鉄道省より編入。  
1938(昭和13)年4月  香椎チューリップ園(現・香椎花園)開園(1939年説も)。  
1938(昭和13)年4月17日    席内村が町制施行の上改称し、古賀町になる。
1938(昭和13)年7月24日    鞍手軌道線全線廃止。
1939(昭和14)年1月  香椎チューリップ園開園(現・香椎花園)。太田氏の会社である九州勧業と共同事業。
 香椎球場開園という説もあるが、これは1932年らしい。この前後に運動場前駅(現・香椎花園前駅)開設か?
 1939年1月に運動場前駅開業との資料もある。
 
1939(昭和14)年3月15日  津屋崎軌道線廃止認可。  
1939(昭和14)年4月13日  福間〜津屋崎(3.7km、馬力)、道辻〜宮地岳駅前(0.2km、馬力)の津屋崎軌道線廃止。
 14日という説もある。
 
1939年9月  五大私鉄疑獄事件、大審院判決。収賄側3人と湾鉄太田社長含む贈賄側の5人に有罪確定。  
1939(昭和14)年11月11日  花見停留所旅客取扱開始。  
1940(昭和15)年4月1日  日本旅行協会発行の「時間表(昭和15年10月号)」では、「新博多」、「和白」、「筑前福間」、「宮地嶽」の各駅が確認できる。  
1940(昭和15)年7月10日  糟屋線(現・JR香椎線)航空隊前仮停留場新設。  
1940(昭和15)年12月26日    箱崎町が福岡市に編入。
1940(昭和15)年  1936〜1938年に大阪電気軌道から譲渡された木造車1両を電車化。3両を制御車化。  
1941(昭和16)年1月1日  糟屋線(現・JR香椎線)航空隊前仮停留場廃止。  
1941(昭和16)年2月1日  糟屋線(現・JR香椎線)海ノ中道臨時停留場を仮停留場に。  
1941(昭和16)年7月15日  糟屋線(現・JR香椎線)海ノ中道仮停留場を駅に。  
1941(昭和16)年9月1日  糟屋線(現・JR香椎線)上唐原仮停車場新設(貨物)。  
1941(昭和16)年11月20日  糟屋線(現・JR香椎線)唐原、本合の両停留場廃止。  
1941(昭和16)年  1936〜1938年に大阪電気軌道から譲渡された木造車2両を電車化。  
1941(昭和16)年  花見停留所駅舎建設。  
1942(昭和17)年7月1日  糟屋線(現・JR香椎線)上唐原仮停車場(貨物)廃止。  鹿児島本線香椎〜博多港間が開業(香椎操車場開業か?)。

西鉄宮地岳線の歴史

出来事 関連事項
1942(昭和17)年9月19日
(1日説あり)
 陸上交通事業調整法に対応し、博多湾鉄道汽船を九州電気軌道が吸収合併。他に、福博電車、九州鉄道、筑前参宮鉄道も一緒に合併している。
 当時の路線は、新博多駅(後の千鳥橋)〜(旧)宮地岳間であった。
 
1942(昭和17)年9月22日  九州電気軌道が西日本鉄道に社名変更。西日本鉄道株式会社(資本金5000万円、本社福岡市西新町)設立。西鉄宮地岳線誕生。
 この際、湾鉄の福門連絡鉄道、土井〜新飯塚、九軌の黒崎〜博多と小倉〜行橋、九鉄の大牟田〜熊本、雑餉隈〜博多について指導があり、申請書返付?
 
1942(昭和17)年  糟屋線(現・JR香椎線)奈多東口、香椎宮前、長者原(2代目)、下須恵の各停留場廃止。  
1943(昭和18)年2月11日    香椎村が町制施行して香椎町に。
1944(昭和19)年5月1日
1月12日説あり
 西戸崎〜宇美(24.7km)と酒殿〜旅石(2.9km)の粕屋線(現・JR香椎線)が石炭輸送力増強のための戦時買収により、国鉄に編入。香椎線に改称。
 国鉄香椎線(現・JR香椎線)奈多駅を雁ノ巣駅に改称。和白簡易停車場を駅に。
 
1945(昭和20)年1月〜5月  1936〜1938年に大阪電気軌道から譲渡された木造車2両を電車化(モ13・サ54)。  
1945(昭和20)年2月  1944年に鉄道省から譲渡されたガソリンカー1両を制御車化(ク55)。  
1945(昭和20)年5月  電車番号を整理。  
1945(昭和20)年10月    第一徴兵保険株式会社を新日本生命保険株式会社に改称。
1945(昭和20)年12月〜1946(昭和21)年2月  1945年3月に鉄道省から譲渡されたガソリンカー3両を制御車化(ク56〜58)。  
1946(昭和21)年11月21日  国鉄香椎線(現・JR香椎線)白浜信号場廃止。  
1947(昭和22)年9月  サ54を制御車化。  
1947(昭和22)年10月    新日本生命保険相互会社設立。
1947(昭和22)年12月    新日本生命保険相互会社を東邦生命保険相互会社に改称。
1948(昭和23)年3月    新日本生命保険株式会社が東邦生命保険相互会社に包括移転。解散。
1949(昭和24)年10月6日  事故のため、ク56を廃車に。  
1949(昭和24)年  電気機関車を導入し、貨物列車も無煙化。  
1950(昭和25)年4月1日    多々良村が町制施行。多々良町に。
1950(昭和25)年4月20日  農科裏信号所を西鉄多々良駅(現貝塚駅)に改称の上開業。  
1950(昭和25)年5月1日  新博多駅を西鉄博多駅に、新香椎駅を西鉄香椎駅に、新宮港駅を西鉄新宮駅に、新古賀駅を西鉄古賀駅に、筑前福間駅を西鉄福間駅に改称。
 以上については、1942(昭和17)年9月22日(西鉄誕生時)と1945(昭和20)年8月15日という異説あり。また、この際香椎倉庫前を名香野(現千早)に改称したとの説もある。
 
1950(昭和25)年11月8日  宮地岳〜津屋崎(1.4km)の免許取得。  
1950(昭和25)年12月    筑豊電鉄・地方鉄道敷設免許(鉄監第2043号・福岡県八幡市黒崎〜福岡県福岡市新堀町)取得。
1951(昭和26)年2月    筑豊電気鉄道株式会社設立。これにより、宮地岳線は飯塚市へ向かう意義を失う。
1951(昭和26)年6月15日  名島西鉄香椎間に名香野(現西鉄千早)駅開業。  
1951(昭和26)年7月1日  西鉄福間〜(新)宮地岳津屋崎開通。(旧)宮地岳駅廃止。
 開通に際しては、津屋崎町が用地のべ2ヘクタールを買い上げて西鉄に寄贈している。
 国鉄から譲渡された電車3両を制御車化(ク61〜63)。
 大牟田線から(旧)150形1両転入。電装化(モ18)。
 
1951(昭和26)年  花見変電所着工(木造)。完成直前に焼失。  
1952(昭和27)年5月29日  花見変電所完成。500kw。  
1953(昭和28)年7月〜1953(昭和28)年12月  ク63、59車体更新。  
1953(昭和28)年7月5日    志賀島村が町制施行の上改称して志賀町になる。
1953(昭和28)年  臨港線が立体交差化。
1953(昭和28)年7月8日  三苫西鉄新宮間で下り109号(鋼製)が土砂崩れのための戻ってきた先行の107号(木造)と正面衝突。109には3人しか乗客がいなかったが、107は通勤通学客で満員。死者4名、重軽傷者97名の惨事となった。  
1953(昭和28)年8月  ク52廃車。  
1953(昭和28)年10月    古賀ゴルフクラブ開場。
1954(昭和29)年2月1日  千鳥橋〜西鉄多々良間(3.3km)改軌(?)。  
1954(昭和29)年3月5日  西鉄博多(元の新博多。後の千鳥橋)〜西鉄多々良(現・貝塚)間(3.3km)を標準軌(1435mm)に改軌し600Vに降圧。西鉄博多駅は千鳥橋電停に統合し新博多電停に改称。
 箱崎宮前を箱崎浜に、西鉄多々良を競輪場前(現貝塚)に改称。新博多〜箱崎浜間に浜松町電停新設。
 これ以降、この区間は事実上市内線と一体の運用となり、福岡市内線(軌道)の貝塚線と呼ばれるようになる。ただ、同区間は引き続き鉄道法上の鉄道であり、正式には宮地岳線のままだった。
 新博多駅から競輪場や沿線にできた住宅へ向かう人々の乗換えが煩雑であったためとされている。また、市内電車の車庫が手狭になったため、貝塚に市内電車の車庫を作るためだったという説もある。どちらにせよ、ドル箱区間を一部失ってしまったことは否めない。
 西鉄社内には、競輪場前以北も改軌する計画がその後もあったとの噂もあるが証拠は見つけていない。
 
1954(昭和29)年4月1日    福間町、上西郷村、神興村(宗像市になった村山田地区を除く)が合併し、福間町に。
1954(昭和29)年6月15日    国鉄の博多港〜福岡港間が開業。
1954(昭和29)年9月  ク60車体更新。  
1954(昭和29)年11月1日    和白村が町制施行して和白町になる。
 新宮村が町制施行して新宮町になる。
1955(昭和30)年2月1日    香椎町と多々良町が福岡市に編入。
1955(昭和30)年3月1日    津屋崎町と勝浦村が合併して、津屋崎町に。
1955(昭和30)年4月1日    古賀町、青柳村、小野村が合併して古賀町に。
 新宮町と立花村が合併して新宮町に。
 糟屋郡北部(旧宗像郡席内郷)地区の現在の市町域が確定。
1955(昭和30)年6月  モ15電装解除(ク64)。  
1956(昭和31)年  旧香椎チューリップ園跡地に香椎花園再オープン。  
1957(昭和32)年2月1日  花見駅出札停止。委託化。  
1957(昭和32)年4月  運転間隔を30分おきから13分おきに短縮。普通電車のみ。  
1957(昭和32)年5月13日  運動場前駅を香椎花園前駅に改称。  
1957(昭和32)年6月  ク61、ク62廃車。  
1957(昭和32)年  筥崎宮北方外苑に福岡水族館開設。  
1958(昭和33)年5月  モ1鋼改。  
1958(昭和33)年6月  ク55廃車。  
1958(昭和33)年10月1日  西鉄新宮西鉄古賀間に古賀ゴルフ場前駅開業。  
1959(昭和34)年3月1日  名香野(現西鉄千早)〜西鉄香椎間に香椎宮前駅開業。
 貨物営業休止。
 
1959(昭和34)年7月13日〜14日  北部九州で豪雨。花見西鉄福間間の西郷川橋梁の橋脚が崩れる。  
1959(昭和34)年  西鉄香椎花園。有料営業開始。  
1960(昭和35)年1月  ク64電装、鋼改(15)。  
1960(昭和35)年8月1日  国鉄香椎線(現・JR香椎線)奈多駅(2代目)開業。  
1960(昭和35)年8月27日    和白村が福岡市に編入。
1960(昭和35)年12月15日  国鉄香椎線(現・JR香椎線)志免〜旅石の貨物支線廃止。旅石貨物駅廃止。  
1960(昭和35)年12月  香椎花園が博物館相当施設の指定を受ける。この年大温室も完成。  
1961(昭和36)年1月15日  西鉄古賀駅出札停止。委託化。  
1961(昭和36)年1月  モ2、14鋼改。  
1961(昭和36)年4月〜7月  ク51、モ16鋼改。  
1961(昭和36)年6月1日    国鉄の門司港〜久留米間が電化。
1961(昭和36)年10月  モ3電装解除(52)。  
1961(昭和36)年12月  ク59鋼改。  
1962(昭和37)年7月  モ13鋼改。  
1962(昭和37)年9月  大牟田線から(旧)10形2両転入(モ21、22)。  
1962(昭和37)年11月1日  競輪場前駅を貝塚駅に改称。  
1962(昭和37)年12月  ク60、63鋼改。  
1963(昭和38)年3月〜5月  ク54、モ17、ク52鋼改。  
1963(昭和38)年7月  ク57廃車。  
1963(昭和38)年9月20日  休止していた貨物営業を廃止。  
1963(昭和38)年10月  ク53鋼改。番号を57に変更。  
1963(昭和38)年12月1日    国鉄の博多駅移転高架化。吉塚〜竹下間が経路変更。
1963(昭和38)年12月1日  新博多を千鳥橋に改称。国鉄博多駅改築による混乱を避けるためだったらしい。  
1964(昭和39)年2月1日    国鉄の福岡港〜福岡市場間が開業。
1964(昭和39)年12月  ク58廃車。  
1966(昭和41)年10月26日  和白駅改良工事竣工。国鉄香椎線との立体交差化。  
1966(昭和41)年  花見停留所駅舎新築。駅に昇格。  
1966(昭和41)年  糟屋郡古賀町(現古賀市)に西鉄としてははじめての分譲宅地が完成。  
1968(昭和43)年3月27日  香椎花園に全長550mのジェットコースター完成。当時西日本一とされた。
1968(昭和43)年7月    筑豊電気鉄道・熊西〜筑豊直方間地方鉄道貨物運輸営業廃止。
 筑豊電気鉄道・筑豊直方〜福岡間地方鉄道運輸営業廃止(未成線)。
1968(昭和43)年8月  大牟田線から(旧)10形2両、(旧)150形1両転入(モ23、モ24、ク58)。  
1969(昭和44)年9月  運転間隔12.5分毎で、全線の所要時間39分に。普通電車のみ。
 データイムは、原則としてMc車の単行(1両編成)。7編成使用。
 データイムの交換駅は、名島、西鉄香椎、和白、西鉄新宮、西鉄古賀、西鉄福間の6駅
 ラッシュ時は貝塚〜香椎花園の区間運転もあり。名香野でも交換。
 ラッシュ時は2〜3両編成で運行。10編成使用。
 貝塚〜香椎花園前間は自動閉塞方式。香椎花園〜津屋崎間はタブレット閉塞方式。
 
1971(昭和46)年4月5日    志賀町が福岡市に編入。
1971(昭和46)年  花見変電所を無人化。香椎変電所からの遠隔制御に。  
1975(昭和50)年3月10日    国鉄の福岡貨物ターミナル開業。香椎-福岡貨物ターミナル間電化。
1975(昭和50)年11月2日    福岡市内線の貫線、城南線、呉服町線が廃止。千代町〜箱崎間に旧軌道敷を利用したバス専用道路を使用開始。
1975(昭和50)年12月20日  大牟田線・宮地岳線にシルバーシート設置。  
1977(昭和52)年2月    福岡市総合計画(第4次マスタープラン)において、「香椎副都心土地区画整理事業」が東の副都心に位置付け。
1977(昭和52)〜1979(昭和54)年度  駅業務委託の拡大と集札係員の効率化により27名の人員削減。  
1977(昭和52)年4月〜5月  車両近代化に着手。大牟田線から313形2両編成が4編成が転入。  
1977(昭和52)年7月  モ1、モ15、モ18、ク52、ク58の旧型車5両を廃車。  
1978(昭和53)年4月〜6月  大牟田線から308形2両編成が2編成が転入。  
1978(昭和53)年5月〜9月  モ2、モ7、モ16、モ17、モ21、モ22、ク51、ク60の旧型車8両を廃車。  
1978(昭和53)年7月〜9月  大牟田線から313形2両編成が4編成が転入。  
1978(昭和53)年10月1日  宮地岳線にCTC・ATS設置。
 西鉄古賀駅助役廃止。
 
1978(昭和53)年10月2日    国鉄の東福間駅開業。
1978(昭和53)年12月  大牟田線から310形(旧20形)2両編成が1編成が転入。  
1979(昭和54)年3月以前?  新博多貝塚複線化。  
1979(昭和54)年2月11日  福岡市内線循環線と宮地岳線の市内乗り入れ部分(貝塚線:3.3km)が廃止。福岡市内の路面電車はなくなる。千鳥橋(旧・新博多)〜貝塚間も廃止になったので、貝塚駅が行き止まりに。バスでの代行輸送が始まる。  
1979(昭和54)年4月  大牟田線から120形(旧20形)3両編成が1編成が転入。  
1979(昭和54)年9月  モ11、モ12、ク57、ク63の旧型車4両を廃車。  
1979(昭和54)年10月  大牟田線から120形2両編成が2編成が転入。  
1980(昭和55)年5月26日  古賀ゴルフ場前駅を無人駅から委託駅に。  
1980(昭和55)年9月1日  宮地岳線、2両編成車によるワンマン化実施。28名の人員削減。  
1980(昭和55)年9月〜10月  モ4、モ14、モ23、モ24、ク54、ク59の旧型車6両を廃車。旧型車は電動車5両のみに。  
1981(昭和56)年3月〜5月  大牟田線から(旧)20形2両編成が2編成転入。この編成が大牟田線最後の20形。  
1981(昭和56)年7月30日  国鉄香椎線(現・JR香椎線)酒殿〜宇美間の貨物営業廃止。  
1981(昭和56)年7月  全列車ワンマン運行に(旧型車引退)。  
1981(昭和56)年7月26日    福岡市営地下鉄1号線(現・空港線)が部分開業(室見〜天神間)。
1981(昭和56)年12月  モ5、モ6、モ8、モ9、モ13の旧型車5両を廃車。旧型車は全滅。  
1982(昭和57)年4月20日    福岡市営地下鉄2号線(現・箱崎線)が部分開業(天神〜呉服町間)。
1982(昭和57)年10月10日  香椎花園に催事館完成。  
1982(昭和57)年11月14日    国鉄の福岡港〜福岡市場間が廃止。
1983(昭和58)年3月22日    福岡市営地下鉄1号線(現・空港線)が開通(姪浜〜博多間)。これにより、国鉄筑肥線も一部廃止された(博多〜姪浜間)。
1983(昭和58)年7月1日  香椎花園にレジャープールがオープン。  
1984(昭和59)年2月1日  国鉄香椎線(現・JR香椎線)西戸崎〜香椎間の貨物営業廃止。  
1984(昭和59)年2月    香椎操車場の規模縮小。約26haが遊休化。
1984(昭和59)年4月1日  宮地岳線の変電所を大牟田線味坂変電所から集中制御開始。香椎変電所の無人化により11名の人員削減。  
1984(昭和59)年4月27日    福岡市営地下鉄2号線(現・箱崎線)一部開通(呉服町〜馬出九大病院前)。
1984(昭和59)年  310形と120形の番号を整理。  
1985(昭和60)年1月1日  国鉄香椎線(現・JR香椎線)酒殿〜志免間の貨物支線廃止。香椎〜酒殿間の貨物営業廃止。  
1985(昭和60)年3月14日    国鉄の博多港〜福岡港間が廃止。
1985(昭和60)年8月30日  福岡市営地下鉄2号線の貝塚乗り入れに備え、宮地岳線貝塚新駅完成。営業開始。貝塚駅は津屋崎寄りに約160m移転。営業キロは0.2km短縮。  
1986(昭和61)年9月  大牟田線から308形2両編成1編成と1両が転入。  
1986(昭和61)年10月12日    国鉄の赤間〜荒木間CTC化。
1986(昭和61)年11月1日  香椎花園前和白間に唐の原駅開業。
 三苫駅に折り返し設備を新設。ラッシュ時の貝塚〜香椎花園間の運転を貝塚〜三苫に変更。
 データイムの交換駅を名香野、香椎花園、和白、西鉄新宮、西鉄古賀、西鉄福間に変更。ラッシュ時には名島、香椎、唐の原でも交換。全線所要時間は43分に増加。
 大牟田線から303形2両編成2編成が転入。
 大牟田線から308形2両編成1編成と1両が転入。
 3両編成ワンマン運転を開始。
 
1986(昭和61)年11月12日  福岡市地下鉄2号線(現・箱崎線)が貝塚まで開業。  
1986(昭和61)年12月  300形の冷房化工事開始。  
1987(昭和62)年3月31日    国鉄香椎〜博多港間の旅客営業廃止。
1987(昭和62)年3月  120形(旧大牟田線20形)の廃車が始まる。2両編成1編成。  
1987(昭和62)年4月1日  国鉄香椎線がJR九州香椎線になる。  国鉄分割民営化。九州旅客鉄道(JR九州)発足。
1988(昭和63)年3月13日  JR香椎線香椎神宮、長者原(3代目)両駅開業。  
1988(昭和63)年7月14日  JR香椎線中道信号所新設。  
1989(平成1)年3月11日  JR香椎線須恵中央駅開業。  
1989(平成1)年3月23日  貝塚〜津屋崎間の所要時間が41分に3分短縮。
 データイムの運行間隔を12.5分。ラッシュ時の運行間隔を6.15分に短縮。
 貝塚発三苫行最終列車の発車時刻を23時41分に44分繰り下げ。
 運転本数を113往復に増発。
 
1989(平成1)年3月    福岡市が香椎地区副都心整備計画策定。
1989(平成1)年3月23日  ダイヤ改正。ATS改良でスピードアップ。貝塚〜三苫4往復増発。  
1990(平成2)年6月〜7月  大牟田線から600形冷房車2両編成3編成転入。  
1990(平成2)年6月  120形2両編成3編成を廃車。120形はラッシュ時のみの運行になる。  
1990(平成2)年7月  建設省、福岡県、福岡市、住都公団、国鉄清算事業団、JR九州、西鉄が、香椎操車場地区の事業化基本方針合意。  
1990(平成2)年12月1日  貝塚発23時20分津屋崎行を新設。22時47分から33分繰り下げ。
 運転本数を116往復に増発。地下鉄との乗り継ぎを改善。
 貝塚〜三苫2往復、貝塚〜津屋崎1往復増発。
 
1991(平成3)年3月16日  JRの吉塚〜博多間が三線化。篠栗線の全列車が博多駅直通となる。  
1991(平成3)年5月〜6月  大牟田線から600形冷房車2両編成1編成、3両編成1編成転入。  
1991(平成3)年7月  120形2両編成1編成、3両編成1編成廃車。  
1991(平成3)年7月22日  宮地岳線100%冷房化。  
1991(平成3)年9月30日    JR千鳥駅開業。
1992(平成4)年6月〜1993(平成5)年2月  西武鉄道701系廃車に伴って台車等を購入。313形を新性能化。363形を電動車化。  
1992(平成4)年12月    香椎地区副都心計画の都市計画決定(土地区画整理事業区域及び都市計画道路)。
1993(平成5)年度  市営地下鉄・宮地岳線の双方1区まで乗継割引運賃を実施。  
1993(平成5)年1月    香椎地区副都心計画の住宅都市整備公団への事業要請(福岡県、福岡市)。
1993(平成5)年3月3日  地下鉄ダイヤ改正によるダイヤ改正。
 地下鉄の博多〜福岡空港開業。これにより宮地岳線利用客増加。
 
1994(平成6)年1月    香椎地区副都心計画の施工規定及び事業計画の建設大臣認可。
1989(平成1)年3月1日  JR香椎線舞松原駅開業。  
1994(平成6)年4月23日  香椎花園にジェットコースター「ペガサス」がオープン。  
1994(平成6)年7月    福岡市が、博多湾の人工島(アイランドシティ)整備事業を着工。
1995(平成7)年3月10日  福岡市地下鉄ダイヤ改正によるダイヤの手直し。  
1995(平成7)年7月3日  宮地岳線全駅が終日禁煙に。  
1996(平成8)年4月    香椎地区副都心計画の用途地域の変更及び地区計画の都市計画決定。
1997(平成9)年2月  福岡市長と西鉄社長が地下鉄箱崎線と宮地岳線との相互直通についての検討開始に合意。  
1997(平成9)年4月    香椎地区副都心計画の変更事業計画の建設大臣認可。
1997(平成9)年10月1日    古賀町が市制施行。古賀市に。
1997(平成9)年  宮地岳線の初乗り料金が150円に、地下鉄の初乗り料金が200円にそれぞれ値上げ。利用者減少率が上がる。  
1997(平成9)年〜2000(平成12)年    アイランドシティへの鉄軌道導入計画検討調査を、福岡市が運輸政策研究機構に委託。
1998(平成10)年3月21日  土曜、休日ダイヤ導入。  
1998(平成10)年4月1日    JRの福岡貨物ターミナル〜博多港間(4.1km)廃止。
1999(平成11)年度  保守部門外注化により25名の人員を削減。  
1999(平成11)年5月25日  運輸省の都市鉄道調査に西鉄宮地岳線と福岡市地下鉄の直通が取り上げられる(参照)。  
1999(平成11)年6月    香椎地区副都心計画の第一回仮換地指定。
1999(平成11)年7月1日  第145回国会運輸委員会で、渡辺具能衆議院議員が宮地岳線の複線化、宗像大社・北九州市方面への延伸などについて質問(参照)。  
1999(平成11)年〜2000(平成12)年  運輸政策研究機構の都市鉄道調査プロジェクトの一つに地下鉄箱崎線と宮地岳線の相互直通運転案が取り上げられる。  
2000(平成12)年3月  香椎地区副都心計画の鉄道高架化工事着工式。  
2000(平成12)年12月13日  福岡市議会一般質問で、相互直通の際の西鉄宮地岳線改良のため、運行会社の第3セクター化も検討していくと市側が答弁。  
2001(平成13)年度  市営地下鉄・宮地岳線の乗継割引運賃を双方3区までに拡大。  
2001(平成13)年6月  香椎地区副都心計画の第2回変更事業計画及び変更施工規定の国土交通大臣認可。  
2001(平成13)年7月1日  宮地岳線全線開通50周年。おとな520円、こども260円の全線開通記念1日フリー乗車券発売。おとな400枚、こども100枚限定。ただし貝塚駅と津屋崎駅でのみ売っていた模様。  
2001(平成13)年12月2日    玄海彫刻の岬恋の浦休園。
2001(平成13)年  相互直通の際、宮地岳線は西鉄が運用しつつ地下鉄側が片乗り入れしてアイランドシティ(人工島)直通させる方向で基本合意したとされる。  
2002(平成14)年度  乗降人員1000人未満の4駅(古賀ゴルフ場前、花見、西鉄福間、宮地岳)の昼間時間帯を無人化。
 レールあんどハイク(沿線ハイキング)開始。
 
2002(平成14)年2月25日  福岡市議会本会議で、アイランドシティ(人工島)への鉄道は2009年度開業を目標とする整備方針を福岡市長が発表。
 相互直通運転案とともに西鉄香椎〜香椎花園前間の香住ケ丘地区(新駅)から分岐して人工島に至る約2kmの新線を市が独自に建設するという計画が示された。
 また、この際に福岡市側が宮地岳線の一部区間買収を提案したとされている。
 
2003(平成15)年1月  福岡市が西鉄側の施設改良の負担を軽減するため、地下鉄への小型新車両導入や地下鉄天神駅東側に箱崎線専用ホームの整備などを打診しているとの報道。  
2003(平成15)年3月15日  ダイヤ改正を実施。最終電車発車時刻を延長。貝塚駅発が23:31から0:10に。  
2003(平成15)年12月9日  平成15年第3回宗像市議会定例会で、山本浩人議員が西鉄宮地岳線北九州延伸案について市長に質問。  
2004(平成16)年  西鉄が三苫より北の沿線自治体(粕屋郡新宮町、古賀市、宗像郡福間町、同津屋崎町)に三苫〜津屋崎間の事業見直しを打診。それ以降、経営改善策を協議。  
2004(平成16)年8月2日  貝塚香椎宮前間(約2.0q)を高架線に経路変更。名香野駅を西鉄千早駅に名称変更。名島駅移転。
 前日の予定だったが、台風接近のため1日延期。
 ダイヤ改正。最小運転間隔の約6分で運転される時間帯を縮小して減便。移転した名島と西鉄千早の停車時間延長(ポイントが発条式から電動式になったため)。ただし、両駅の分岐器の速度制限が時速25kmから45kmになったりなどしたため、全体の所要時間は変わらず。
 この際に香椎宮前西鉄香椎の路線が仮線になり香椎宮前駅が仮駅になったという説と、それ以前にそうなったという説があるらしい。
 
2004(平成16)年秋まで  西鉄が沿線自治体に厳しい経営状態を説明。各自治体からの提案や要望はなし。  
2004(平成16)年12月  福岡市がアイランド新線構想について2009年度の開業を見直す決定。宅地の分譲が進んでおらず、早期に開業しても需要が見込めないことや、相互直通協議の硬直化などが原因とされる。  
2005(平成17)年1月24日    福間町と津屋崎町が合併。福津市に。
2005(平成17)年1月28日  福岡県知事と福岡都市圏広域行政推進協議会の懇談会で、新宮町長が西鉄と協議中であると言及。報道中では西鉄の意図として現在のところ廃止は考えておらず、行政による欠損補助か第3セクターによる経営分離などを考えていると報道される。  
2005(平成17)年4月  西鉄が沿線自治体に経営改善への協力を要請。  
2005(平成17)年5月  2004年の宮地岳線年間利用者が約1400万人と分かる。1992年の約2400万人から約4割の減少。年間7億円の赤字と発表。  
2005(平成17)年6月6日  福津市、古賀市、新宮町、九州運輸局、福岡県、西鉄で「西鉄宮地岳線活性化検討会」設立(参照参照)。  
2005(平成17)年6月13日  新宮町議会一般質問で、新宮町長が他の自治体と連携して存続へ取り組んでいく決意を表明。一方で、JR利用者の多い古賀市や福津市旧福間町地区との足並みの乱れも(参照議事内容)。  
2005(平成17)年8月26日  西鉄宮地岳線活性化検討会が古賀市役所で開催。9月の広報紙を使った啓発活動やホームページの作成、幼稚園や小中学校の遠足での利用呼びかけ、沿線企業や高校へ通勤通学利用の呼びかけ、西鉄の観光切符発売などを決定。  
2005(平成17)年11月1日  古賀市役所公式サイトに西鉄宮地岳線利用促進ページ開設(参照)。  
2005(平成17)年11月24日  「福津市散策きっぷ」発売(参照)。  
2006(平成18)年3月24日  福津市で開かれた「西鉄宮地岳線活性化検討委員会」で、西鉄が経営の厳しさを訴える。  
2006(平成18)年3月29日  麻生渡福岡県知事が、西鉄宮地岳線の一部区間廃止はやむをえないという趣旨の発言を定例記者会見で行う。代替策についての検討も必要とも(記者会見全文)。  
2006(平成18)年3月30日  「西鉄宮地岳線活性化検討委員会」で、西鉄が西鉄新宮〜津屋崎間の廃止を提案(参照)。  
2006(平成18)年3月31日  西鉄が西鉄新宮〜津屋崎間の廃止を九州運輸局に届出。  
2006(平成18)年4月3日  福津市役所、古賀市役所のサイトに「西鉄電車の一部路線廃止に伴う公示」掲載。新宮町は4日に掲載。各市町役所(場)サイトでの廃止決定のお知らせはこれだけにとどまった(参照)。  
2006(平成18)年4月6日  福津市議会全員協議会で、西鉄宮地岳線の廃止について質疑が行われた模様。  
2006(平成18)年4月7日  福岡放送(FBS)のローカル番組めんたいワイドで「『大磯』新鮮!豪華!海の幸 宮地岳線再発見の旅」という内容の放送があった模様(番組サイト内の紹介記事)。  
2006(平成18)年4月15日  同日付西日本新聞に、津屋崎地区で存続運動への動きがあることが報じられる。(参照)  
2006(平成18)年4月21日  宮地岳線の存続を求める会が署名簿の原案(Ver.0.01)を作成。  
2006(平成18)年4月22日  津屋崎地区で宮地岳線存続に関する集会が開かれたとのうわさ(参照)。  
2006(平成18)年4月22日・23日  津屋崎漁港でよっちゃん祭開催。地元のNPO法人津屋崎千軒いきいき夢の会名義で宮地岳線存続を訴えるビラが配布される。
 実際はその下に協力者として書かれていたNPO法人全国鉄道利用者会議と九州大学鉄道研究会(正式には九州大学鉄道研究同好会)の一部が配ったらしい。
 きちんとした承諾を得ていなかったということで問題になる。
 
2006(平成18)年4月24日予定  古賀市議会議員連絡会で西鉄宮地岳線の廃止について説明が行われた(参照)。  
2006(平成18)年4月  津屋崎か宮司の区長会で宮地岳線存続運動を起こそうという提案があるも、福津市長サイドに止められたという噂(参照)。  
2006(平成18)年5月5日  宮地岳線の存続を求める会が署名簿、署名お願いビラ、アンケートなどの原案を公開。  
2006(平成18)年5月6日  午後7時から花見東二区公民館(古賀市花見南2-23-15)で宮地岳線の存続を求める会の第1回会合が行われる(参照)。地域住民を始め、市議、元県議、特定非営利活動法人全国鉄道利用者会議S氏や九州大学鉄道研究同好会の学生2名も参加し意見を述べる。  
2006(平成18)年5月9日  宮地岳線の存続を求める会が署名簿の一部を修正。宮地岳線の「一部区間」存続を求めているという形に。  
2006(平成18)年5月13日  午後7時から宮司コミュニティセンター(福津市宮司2297番地の1)で宮地岳線の存続を求める会の第2回会合。参加者は約100名(参照)。  
2006(平成18)年5月14日  西鉄千早香椎花園前間が高架化。香椎宮前西鉄香椎の2駅が高架駅に。経路変更があったので、名島〜香椎花園前間の営業キロを0.1km延長。  
2006(平成18)年5月22日  九州運輸局で、西日本鉄道株式会社の鉄道事業廃止に関する意見陳述会。  
2006(平成18)年5月24日  宮地岳線の存続を求める会が福津市長と面談。会の趣旨と存続方法の例を説明(参照)。  
2006(平成18)年5月26日  宮地岳線の存続を求める会が古賀市長と面談。会の趣旨と存続方法の例を説明(参照)。  
2006(平成18)年5月27日  午後7時から宮司コミュニティセンター(福津市宮司2297番地の1)で宮地岳線の存続を求める会の第3回会合。参加者は、約160名(参照)。  
2006(平成18)年5月30日  宮地岳線の存続を求める会が古賀市議会、福津市議会に鉄道として宮地岳線の存続の可能性を討議していただく請願を提出。
 博多区内のホテルセントラーザ博多で「西鉄宮地岳線代替交通確保調整協議会」が開催。代替バスの検討とともに、県と古賀、福津両市が検討会を作って第3セクター鉄道としての存続の可能性を探ることになる(参照)。
 
2006(平成18)年5月31日  市内のホテルで第1回「西鉄宮地岳線代替交通確保調整協議会」の幹事会(実務者会議)。メンバー紹介と協議会・幹事会の役割、及びスケジュールの確認が行われ、経営指標データの要求内容等を協議。  
2006(平成18)年6月6日  午前9時30分から古賀市議会総務委員会で請願の審議。夕方全会一致で通過。  
2006(平成18)年6月10・11日  宮地嶽神社菖蒲祭りで宮地岳線の存続を求める会が署名活動。10日(土)は1200人分、11日(日)は1500人分の署名が集まる。  
2006(平成18)年6月12日  午前9時30分から福津市議会で議案上程委員会付託(参照)。総務文教委員会への付託が決定。
 新宮町議会全員協議会では請願が上程否決(参照)。
 福津市観光協会、福津市福間商工会、福津市津屋崎商工会が宮地岳線存続署名の協賛団体に。
 
2006(平成18)年6月13日  福津市議会で吉田、渡辺両市議が宮地岳線について一般質問(参照)。この際、市長が包括的に概要を答弁。  
2006(平成18)年6月14日  午後1時30分から古賀市議会で清原留夫市議が「宮地岳線の廃止について」一般質問(参照)。
 午前9時30分より寺嶋市議が、午前11時より吉崎両市議が、午後1時より竜口市議が福津市議会で宮地岳線について一般質問(参照)。
 
2006(平成18)年6月15日  6:30〜22:30まで、宮地岳線の乗降調査。
 午前9時30分から古賀市議会で許山秀仁市議が「西鉄宮地岳線一部廃止について」一般質問(参照)。
 午前10時から岩城市議が、午前11時から米山市議が福津市議会で宮地岳線について一般質問(参照)。
 
2006(平成18)年6月16日  古賀市議会で奴間健司議員が宮地岳線について一般質問で触れる(参照)?
 午前10時から西地市議が、午後3時から樋口市議が福津市議会で宮地岳線について一般質問(参照)。
 
2006(平成18)年6月17日  午後2時からカメリアホール(福津市津屋崎458番地の1)で宮地岳線の存続を求める会の第4回会合。参加は400名程度。関西から鉄道ファンの会社員数名も駆けつける。  
2006(平成18)年6月18日  宮地嶽神社菖蒲祭りで宮地岳線の存続を求める会の署名活動。  
2006(平成18)年6月17日か18日  福津市中央公民館で行われたふくつピースコンサートの際、日本婦人会が宮地岳線存続の署名活動を行う。福津市長と西鉄社長あてで7月提出予定。  
2006(平成18)年6月19日  午前9時30分から福津市議会総務文教委員会で、請願の審議。全会一致で可決。
 宮地岳線の存続を求める会会長等が地元選出国会議員、新宮町助役と面談。会の趣旨についてのご説明と存続について申し入れ。
 
2006(平成18)年6月20日  古賀市議会本会議で請願が賛成多数で可決。反対議員1名。  
2006(平成18)年6月24日  午後7時30分から花見東二区公民館(古賀市花見南2-23-15)か隣の花見南公民館で古賀支部集会準備会合。  
2006(平成18)年6月25日  新宮海岸ぶらぶら歩き。新宮神社(海岸側)で11時から11時30分の受付。雨の中約50名の参加。当日新宮町新宮102(地図)の有限会社進藤商店(0120-262-505)さんが協賛。  
2006(平成18)年6月26日  午前9時30分から福津市議会本会議6日目で議案採択され、請願を先に審議。全会一致で可決。同時に特別委員会の設置も決定。特別委員会には全会派から2名ずつの参加。  
2006(平成18)年7月6日  福津市議会の特別委員会開始。行政が赤字を補填しても存続させないと西鉄が言っており西鉄による存続はありえないことや、西鉄が用地60億円施設10億円と言っているなどが説明された。  
2006(平成18)年7月8日  午後2時から福津市宮司コミュニティセンターで宮地岳線の存続を求める会第5回会合。  
2006(平成18)年7月12日  九州運輸局で第2回「西鉄宮地岳線代替交通確保調整協議会」幹事会。西鉄から経営指標データが提供され、その内容を検討。
 天神コア前で宮地岳線の存続を求める会署名活動。約400名分の署名が集まる。
 
2006(平成18)年7月13日  天神コア前で宮地岳線の存続を求める会署名活動。  
2006(平成18)年7月14日  天神コア前で宮地岳線の存続を求める会署名活動。  
2006(平成18)年7月15日  18時より津屋崎の「サマーナイトイン津屋崎」で宮地岳線の存続を求める会署名活動。  
2006(平成18)年7月20日  古賀市役所が古賀市議会総務委員会で廃止に関する状況を報告。7月12日に提供された経営指標、及び鉄道資産の資料を委員会に提出。  
2006(平成18)年7月22日  福津市のスーパーマルシェ前で宮地岳線の存続を求める会署名活動。570名分の署名が集まる。  
2006(平成18)年7月23日  14時から花見南区公民館で宮地岳線の存続を求める会第6回集会。わかやま電鉄貴志川線を視察した古賀市議の報告がメイン。有限会社トラベルプランニングオフィス(TPO)のN代表も来場。  
2006(平成18)年7月26日  西鉄宛に宮地岳線の存続を求める会が質問・要望書を提出。  
2006(平成18)年7月27日  古賀市で、「市長と語るまちづくりU」。宮地岳線について古賀市長が市民と語るつどい。時間は19時から20時30分。場所は古賀市中央公民館大会議室。
 東京の旅行会社有限会社トラベルプランニングオフィス(TPO)のN代表も出席。N氏はNPO法人全国鉄道利用者会議S氏と九州大学の大学院生1名と同席しており、利用者会議のT代表(北海道教育大学助教授)も顔を見せた。
 
2006(平成18)年7月29日  筥崎宮にて宮地岳線の存続を求める会署名活動。約600人分の署名が集まる。  
2006(平成18)年7月30日  古賀市役所が古賀市議会総務委員会で「市長と語るまちづくり」についての状況報告。  
2006(平成18)年8月6日  真夏の海のカーニバル(福津市花火大会)で宮地岳線の存続を求める会署名活動。約1200人分の署名が集まる。  
2006(平成18)年8月7日  九州運輸局で、第3回「西鉄宮地岳線代替交通確保調整協議会」の幹事会(実務者会議)。8月30日に提出する新宮〜津屋崎間の第3セクターによる鉄道存続の可能性についての資料について協議。  
2006(平成18)年8月9日  地元市議らが地元選出の衆議院議員を伴い西鉄本社に。  
2006(平成18)年8月10日  西鉄本社で担当者に宮地岳線の存続を求める会代表者らが会談。西鉄側は廃止撤回はなく、第3セクターへの参加や相互乗り入れは難しいとのこと。活性化活動に関しては容認。  
2006(平成18)年8月16日  岡山県の第3セクター井原鉄道を古賀市長を含む3名が視察。  
2006(平成18)年8月20日  古賀市のサンリブで宮地岳線の存続を求める会署名活動。約1000人分の署名集まる。  
2006(平成18)年8月30日  第2回「西鉄宮地岳線代替交通確保調整協議会」。新宮〜津屋崎間の第3セクターによる鉄道存続の可能性についての試算を提出。第3セクターでの存続は困難であるとの認識で一致。福津市庁は結果を持ち帰り検討すると意見を述べ、最終決定は10月に。
 9:30より福津市特別委員会、古賀市総務委員会開催。その後福津・古賀両委員により合同委員会開催(非公開)。
 
2006(平成18)年9月2日  カメリアホールにて宮地岳線の存続を求める会が市民大集会を開催。500名の出席。6万1957人の署名を沿線自治体を代表して福津市長に手渡し(古賀市は代理)。  
2006(平成18)年9月4日  宮地岳線の存続を求める会が福岡県庁に署名提出。
 古賀市役所が古賀市議会総務委員会で第三セクター井原鉄道視察、及び8月30日「西鉄宮地岳線代替交通確保調整協議会」で示された三セク試算について報告。関連資料を提出。
 
2006(平成18)年9月6日  福岡県庁を古賀市長と助役1名が訪問。企画振興部長と面会。第三セクター鉄道実現のため、県の財政支援を求める。  
2006(平成18)年9月13日  宮地岳線の存続を求める会が新宮町に署名提出。  
2006(平成18)年9月21日  19:00〜21:00福津市役所福間庁舎2階大会議室で福間地域・福間南地域の福津市地域交通体系整備計画住民説明会開催。  
2006(平成18)年9月22日  19:00〜21:00上西郷小学校図書室で上西郷地域の福津市地域交通体系整備計画住民説明会開催。  
2006(平成18)年9月25日  19:00〜21:00東福間公民館で神興地域の福津市地域交通体系整備計画住民説明会開催。  
2006(平成18)年9月26日  19:00〜21:00神興東小学校コミュニティル−ムで神興東地域の福津市地域交通体系整備計画住民説明会開催。  
2006(平成18)年9月27日  19:00〜21:00カメリアホール2階大研修室で津屋崎地域の福津市地域交通体系整備計画住民説明会開催。  
2006(平成18)年9月28日  19:00〜21:00宮司コミュニティセンタ−研修室で宮司地域の福津市地域交通体系整備計画住民説明会開催。  
2006(平成18)年9月29日  19:00〜21:00あんずの里ふれあいの館都市農村交流室で勝浦地域の福津市地域交通体系整備計画住民説明会開催。  
2006(平成18)年10月初頭  NPO法人全国鉄道利用者会議九州支部の有志が地元選出衆議院議員事務所に土地代無料等を盛り込んだ再生案を送付。  
2006(平成18)年10月11日  九州運輸局で、第4回「西鉄宮地岳線代替交通確保調整協議会」幹事会。各市町の第3セクター鉄道の検討状況確認。  
2006(平成18)年10月23日  九州運輸局で第3回「西鉄宮地岳線代替交通確保調整協議会」が行われ、第3セクターでの存続断念が決まる。12月までに代替輸送計画をまとめることに。  
2006(平成18)年11月7日  九州運輸局で、第5回「西鉄宮地岳線代替交通確保調整協議会」幹事会。代替バス路線案の課題について項目別の検討と、各自治体の状況報告。  
2006(平成18)年11月27日  九州運輸局で、第6回「西鉄宮地岳線代替交通確保調整協議会」幹事会。代替バス路線案の実現に向けた各自治体・西鉄の取り組み報告と、前回に引き続いて課題の項目別検討。  
2006(平成18)年12月18日  九州運輸局で、第7回「西鉄宮地岳線代替交通確保調整協議会」幹事会。代替バス路線ルート案のなどについて協議。  
2006(平成18)年12月25日  九州運輸局で、第4回「西鉄宮地岳線代替交通確保調整協議会」。代替バスについて運行ルートと便数などが決まる。  
2007(平成19)年2月20日  津屋崎のカメリアホールで代替バスの説明会。代替バスの詳細のほか、9月までに線路・駅舎ともに完全に撤去するという方針や跡地を道路化する方向で進んでいることが説明された(参照)。
 国道495号線のバイパス的なものができるのではないかという説明であったが、県知事と地元出身議員が高速道路にしたがっているという説明もあったという(参照)。
 
2007(平成19)年3月15日  代替バス各ルートのダイヤが決定。  
2007(平成19)年3月31日  西鉄が宮地岳線の西鉄新宮津屋崎間を廃止。  
2007(平成19)年度  福岡市が貝塚線で地下鉄車両の西鉄線走行実験を行う。
 名島川橋梁で貝塚線車両に水タンクを積んで行ったとの話。新聞報道によれば速度等を変えて3回走らせたが問題なかったとのこと(参照参照)。
 
2007(平成19)年4月1日  宮地岳線貝塚〜西鉄新宮が貝塚線と名称変更した上で再出発。
 踏切を埋め、機材の撤去が始まる。駅舎は封鎖。古賀駅周辺に機材の集積所が作られ、運転士が警備員として常駐開始。
 
2007(平成19)年4月6日  古賀〜花見間で津屋崎側より始まっていた架線撤去を確認。  
2007(平成19)年4月22日  宮地岳駅北で線路の一部撤去を確認。  
2007(平成19)年5月20日  古賀市の「市長と語るまちづくり」開催(参照参照)。宮地岳線跡地を国道にすると古賀市長が語ったとされる。  
2007(平成19)年7月2日  19時30分〜21時花見小学校で西鉄宮地岳線跡地の活用に関する意見交換会(参照参照)。この場で2月20日に福津市長が述べた福岡県知事と地元選出衆議院議員の高速道路という案は香椎から芦屋方面にのびるものと古賀市長が説明したとのこと。  
2007(平成19)年7月4日  19時30分〜21時20分古賀西小学校で西鉄宮地岳線跡地の活用に関する意見交換会(参照参照)。  
2007(平成19)年7月15日  花見駅舎・ホームの撤去を確認(掲示によると事業期間は6月26日〜8月31日)。  
2007(平成19)年7月21日  古賀駅舎・ホームのの撤去も確認。最後まで残っていた古賀〜花見間のレールが裁断されていることも確認。  
2007(平成19)年7月28日  廃止区間で最後まで残っていた古賀〜花見間の線路の撤去を確認。  
2007(平成19)年7月  古賀市選出県議が参議院選に向けたチラシの中で西鉄宮地岳線跡地の道路化を公約として掲げたとのこと。  
2007(平成19)年9月1日  アイランドシティ(人工島)への鉄道の導入に対し、福岡市が「手法や採算性の観点から実現の可能性は厳しい」としたと西日本新聞が伝える(参照)。  
2007(平成19)年10月14日  古賀西小学校入口の踏切跡の盛り土が撤去工事を確認(掲示によると工事期間は8月1日頃から11月30日頃まで)。  
2008(平成20)年度  西鉄と福岡市交通局とが直通運転に関する関係部長会議の場を設定。
 事業費や運営経費の低減、補助事業の適用可能性などの協議を始める(参照)。
 
2009(平成21)年1月23日  直通運転に関し、福岡市が実現に向け検討を進めていると毎日新聞が報道。
 早ければ5年後の開業もと書かれている(参照)。
 
2009(平成21)年1月28日  福岡市議会交通対策特別委員会で、直通運転に関し福岡市が答弁。
 2009年度にも需要予測を発表して事業費の算定、国の補助制度の活用などを検討していくとのこと(参照)。
 
2010(平成22)年1月14日  直通運転に関し、福岡市は三苫〜中洲川端もしくは三苫〜天神に3両編成の直通列車の運転を検討していると読売新聞が報じる。今後需要予測を精査して事業採算性などを調査するとのこと。
 
 福岡市外の三苫〜西鉄新宮と3両編成では運行できない天神以西は対象から外したとのこと(参照)。
 
2010(平成22)年1月15日  福岡市議会交通対策特別委員会で福岡市が直通運転に関する検討内容を報告(参照)。  
2010(平成22)年11月19日  福岡市議会交通対策特別委員会で福岡市が直通運転に関する初期投資費用と需要予測を報告(参照)。  
2012(平成23)年1月19日  福岡市が地下鉄箱崎線と西鉄貝塚線との直通運転は困難とする見解をまとめたとの新聞報道。  

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