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チラシの裏 2019年2月


2019年2月28日(水)[ストレス(5)~認知的評価理論]

 公認心理師現任者講習を受けた動機の一つが、自分の身近にある問題を心理学をベースにして解決する力を持ちたいと思った事です。資格があればそれに越したことはありませんが、試験勉強する事によって広く深い知識を得るだけでも意味があると考えました。一時は法律をベースにしようと思っていましたが、僕には向かなかったので。

 身近にある問題の一つが、ストレスに関するものでした。今回はラザルス(Richard S. Lazarus,1922.3.3-2002.11.24)とフォルクマン(Susan Folkman,1938.3.19-)のストレスに対する認知的評価理論について調べて、とりあえず第一部終了にしたいと思います。認知的評価とは、人が環境と関わっていく中で何がどの程度のストレスなのかを決め、その事態への対処を考えているというもののようです。これは、従来のストレッサー(環境)と人のストレス状態に加え、人と環境の相互作用を考えていこうという事のようです(参照)。

 認知的評価にはその事態が自分にとって脅威か否か評価する一次的認知評価と、事態をどうコントロールや対処したらいいか評価する二次的認知評価があると彼らは考えました。

 こうした評価を行いながら周囲からの様々な要求や自分の中から沸き上がってくる感情を処理していく過程をコーピング(Coping:対処)と呼びました(参照)。彼らはコーピングを問題解決に直接的に働き掛ける問題焦点型と、問題によって喚起された情動を軽減する情動焦点型に分けて捉えました。


2019年2月27日(水)[月末と年度末]

 今月中にストレスについてまとめようと思いましたが、月末と年度末の仕事が重なってしまいました。

 適当にでっち上げようかと思いましたが、ラザルス(Richard S. Lazarus, 1922.3.3-2002.11.24)とフォルクマン(Susan Folkman,1938.3.19-)のストレスに対する認知的評価理論は僕の疑問に答えてくれそうな気がするので、もう少し読み込んでまとめたいと思います。


2019年2月26日(火)[ストレス(4)~燃えつき症候群]

 これだけ執拗にストレスについて調べているのは、単に試験勉強のためではなく身の回りにストレスで苦しんでいる人がいるからです。その職場のストレスでよく聞く言葉が、燃え尽き症候群(Burnout)。

 フロイデンバーガー(Herbert J. Freudenberger, 1926.11.26-1999.11.29)が1973年に出した定義では、「持続的な職業性ストレスに起因する衰弱状態により、意欲喪失と情緒荒廃、疾病に対する抵抗力の低下、対人関係の親密さ減弱、人生に対する慢性的不満と悲観、職務上能率低下と職務怠慢をもたらす症候群(参照)」ということで、プライス(D. Price,)とマーフィー(P. Murphy,)は1984年に「理想に燃えた使命感にあふれた人を襲う病である」としています(参照)。

 マスラック(Christina Maslach,1946.1.21-)を中心にジャクソン(Susan E. Jackson,)、ライトナー(ライター?)(Michael P. Leiter,)、ワークエンゲージメント(Work. Engagement)で知られるシャウフェリ(ショーフェリ)(Wilmar B. Schaufeli,1953-)、シュワブ(Richard L. Schwab,)が作成したマスラック燃え尽き症候群目録(The Maslach Burnout Inventory:MBI)には3つ(4つとも)の下位概念があるそうです。まず、情緒を使い果たして消耗する情緒的消耗感(emotional exhaustion)。次に無情で義務的態度を取る脱人格化(depersonalization)。最後に職務に関する有能感、達成感が低下した個人的達成感(personal accomplishment)の低下なのだそうです。こちらは日本版の作成も進んでいるようで(参照)、完成が待たれます。

 バラード(David Ballard,)は燃えつきの予兆として5つを挙げているそうです。一つ目はストレスが慢性化して視野が狭くなり周囲に注意を払うのが難しくなり集中力が欠如する事。二つ目はずっと働いているのに仕事が片付かないため罪悪感を持ってしまう事。三つ目は感情的に疲弊して個人的な達成感が感じられなくなり離人症、疎外感、抑うつなどの症状が現れ情緒不安定になる事。四つ目はちゃんと働けない事で他人との距離を置いて社会参加を減らしてしまい、社会的孤立に陥る事。最後に気分を良くするために食べ物や薬やアルコールを利用する飲酒量の増加です(参照参照)。


2019年2月25日(月)[ストレス(3)~]

 最近、レジリエンス(resilience)というものが注目されています。元々は物理学用語で「外力による歪み(stress)を跳ね返す力」を表し、「脆弱性(vulnerability)」の反対の概念だそうです。昔から使われていた用語だったらしいですが、1970年代には不利な生活環境(adversity)に置かれた児童を扱う概念だったそうです。1980年代から2000年にかけて、成人も含めた概念として徐々に注目され、現在は2004年にボナノ(George A. Bonanno,1950-)が述べた「極度の不利な状況に直面しても、正常な平衡状態を維持することができる能力」という定義が一般化しているようです。近年、不適応になるのを防ぐ能力や不適応からの回復可能性の高さとして知られています(参照)。

 ストレスに強いタイプについては他にも色々研究されているようで、アメリカの循環器科医師フリードマン(Meyer Friedman?,1910.7.13- 2001.4.27もしくは1912-2006)とローゼンマン(Ray H. Rosenman, ?-2013.5.30)は1959年にストレスが多く、心臓疾患になりやすいタイプA(aggressive)というものを明らかにしています。曰く、競争心が強い。時間に追われるようにせわしなく行動。過敏で警戒心強い。早口で早食い。攻撃的挑戦的言動。神経質な癖。等の特徴があるということです。日本では敵意は少なめで仕事中心で集団への帰属意識高い人が該当するそうです。二人は逆にストレスに強いタイプB(not A)というものも明らかにしていて、楽観的で肯定的思考で好奇心旺盛で自己効力感があり、情緒的に落ち着いているタイプが該当するようです。また、ストレスが多く癌になりやすいタイプC(cancer)というのも心理学者のテモショック(Lydia Temoshok,?-?)とサイエンスライターのドレイア(Henry Dreher,?-?)が著書で明らかにしています。協調性がある。控え目で寡黙。優等生的。無力感や無気力に陥りやすい等の特徴があるということです(参照参照)。

 アメリカの社会学者アントノフスキー(Aaron Antonovsky,1923.12.19-1994.7.7)はコヒアレンス感(sense of coherence)というものを唱えています。コヒアレンス感とは首尾一貫感覚というような意味だそうで、強いストレス下にあっても健康を保持できる有意味感、理解可能感、処理可能感の3つの構成健康生成要因を指すそうです(参照)。チクセントミハイ(Mihaly Csikszentmihalyi, 1934.9.29-)が唱えたのはフロー体験(flow experience)。内発的に動機付けられた自己の没入感覚に伴う快体験の事らしく、高い集中力、満足感、幸福感、自尊感情の高まりを経験し、精神的健康の増進に必要なのだそうです(参照)。コバサ(Suzanne C. Kobasa,?-?)がストレス状況に頑健なパーソナリティーとして唱えたのはハーディネス(hardiness)。自分の周囲で起こっていることに深い関心を持ち、積極的にかかわり続ける傾向であるコミットメントと、自分には強いストレスによるダメージを和らげる能力があるという自信を示すコントロールと、変化を恒常的なものとして歓迎し受け入れる傾向であるチャレンジの3つから成り立っているようです(参照)(参照)。アメリカの精神科医P. E. シフネオス(Peter E. Sifneos,1920.10.22- 2008.12.9)らが1970年代に提唱した概念であるアレキシサイミア(alexithymia)は、ギリシャ語の「a:非、lexis:言葉、thymos:感情」から作られた造語です。こちらは自らの感情を自覚・認知したり表現することが不得意で、空想力・想像力に欠ける傾向だとされています。具体的には自身の感情を同定できない。言語化できない等の特徴をもつ心身症になりやすいとされる心理特性です(参照)。ちなみにシフネオスは短期力動精神療法のうち短期不安誘発心理療法(short-term anxiety-provoking psychotherapy:STAP)の創始者でもあるようです(参照)。

 色々見てきましたが、環境やその人の置かれた状況によってそうした特性が影響を受ける事もありうるのではないかと思いました。そういう研究はないのかなあ。


2019年2月24日(日)[ストレス(2)~キャノン]

 セリエが1930年代に研究していたというストレス学説と共通点があるのが、アメリカの生理学者キャノン(Walter Bradford Cannon,1871.10.19-1945.10.1)が1929年に唱えた闘争-逃走反応(fight or flight response)です。

 緊張や興奮を引き起こす刺激により脅威を感じた場合、脳は視床下部から下垂体に命令し、副腎皮質刺激ホルモン(ACTH:adrenocorticotropic hormone)を分泌します。それにより、副腎皮質から大量のコルチゾールが分泌されて糖生産活発になるそうです。一方で副腎髄質からはエピネフリン(アドレナリン)が分泌され、自律神経系のうち交感神経系が活動亢進し、呼吸数や心拍数が上がり、胃液分泌は抑制され、血糖値は上昇し、呼吸数は増加し、骨格筋と抹消血管は収縮するそうです(参照)。

 ちなみにキャノンはホメオスタシス(恒常性:homeostasis)を提唱したことでも知られているようです (参照)。

 ついでに、ストレッサーの種類について少し。様々なライフイベントのストレスの強さを点数化した社会的再適応評価尺度(SRRS:Social Readjustment Rating Scale)というものがあります。これは1967年にアメリカの社会心理学者ホームズ(Thomas H. Holmes, 1918?-1988.12.24)(参照)と内科医のレイ(Richard H. Rahe,?-?)(参照)が発表したもので、現在でも広く使われています(参照参照)。僕も卒論で使わせて頂いたのですが、どんな方々なのかあまりネットでは分かりませんでした。


2019年2月23日(土)[ストレス(1)~ハンス・セリエ]

 ストレス(stress)について調べています。Wikipediaによるとstressとは「中世の言葉である、苦痛や苦悩を意味するdistressが短くなった言葉と説明されている(参照)」そうですが、一般的には物理学用語から来たとされていて「物体の内部に生じる力の大きさや作用方向を表現するために用いられる物理量である。物体の変形や破壊などに対する負担(参照)」を指す応力と呼ばれている用語から来ているそうです。

 ストレス学説を唱えたのは、ウィーンで産まれて後にカナダに移ったハンガリー人生理学者セリエ(Hans Selye,1907.1.26-1982.10.16)です。百均ともサッカーリーグとも関係ありません。セリエはストレスを「外部環境からの刺激によって起こる歪みに対する非特異的反応」と考え、ストレッサーを「ストレスを引き起こす外部環境からの刺激」と定義(参照)しました。一般的に「主任のパワハラがストレスで・・・」とか言いますが、正確にはそれはストレッサー。それによって起こる反応がストレスというわけです。ちなみにストレッサーになりうるのは辛い事だけではなく、嬉しい事による環境の変化も立派なストレッサーだと考えられています。

 セリエのストレス学説の基本は適応症候群という考え方だそうです。ストレッサーに曝された生体が適応してホメオスタシス(恒常性:homeostasis)を維持しようとするのが適応症候群らしいです。適応症候群には局所適応症候群と汎適応症候群(GAS:General Adaptation Syndrome)というものがあります。適応使用とするといっても過度になると疲弊してしまい(参照)、どうも1~3ヶ月過ぎちゃうと抵抗力を失ってしまうみたい(参照)です。

 セリエはその働きを三段階に分けました。最初は警告反応期。まず驚き、抵抗力が低下しますが、ストレッサーに対抗して脳下垂体から副腎皮質刺激ホルモンが分泌して交感神経が興奮し、体温や血圧が上昇します。次に抵抗期。もしもストレッサーから逃れられなかった場合は同じ反応が続きます。副腎からアドレナリン、ノルアドレナリン、副腎皮質ホルモンが分泌します。そして最後に疲労期。さらに続くと抵抗力が落ち、身体症状が現れます。具体的には胃潰瘍や十二指腸潰瘍等の消化器の潰瘍、過敏性大腸症候群、頭痛、自律神経失調症、循環器系の病気、ぜんそく等の心身症等に罹患するリスクが上がるそうで、死に至る事もあるといいます。

 蛇足ですが、「循環器病学に多大な貢献をした人に贈られる(参照)」ハンス・セリエメダル(Hans Selye Medal)というものがあるそうです。


2019年2月22日(金)[大腸内視鏡検査]

 そんなわけで、今日は大腸内視鏡検査。朝から胃腸科に行き、1000mlの下剤と500mlの水を飲みつつ1時間過ごし、2時間程待合室とトイレを往復して腸内をきれいにします。

 検査中に第3回心理学検定の問題を50問やってみました。33問合ってました。最近勉強した所も出ていましたが、完全には覚えられてなかったです。もっと勉強しないといかんです。解説読んで勉強しようと思いましたが、便意がきつくなり無理でした(^_^;)

 ある程度便が透明になったら、検査。鎮痛剤を射たれていますが、案外痛いです。お腹に空気を入れているのですが、その排出(放屁)が上手くできないのが痛いようです。時間はかなり短かったです。その後鎮痛剤が効いて寝てしまいました。いや、検査中に眠くなれよ。

 起きるとお尻が痛いです。でもこれは、内視鏡ではなくトイレに行き過ぎたからでしょう。案外楽な検査でした。とりあえず大腸に異常なかったので良かったです。異常なかったため胃カメラの時のような追加の検査がなく、7000円強で済みました。


2019年2月21日(木)[傍流がポジショントークを聞く]

 職場の検便で引っ掛かりました。調べてみると正確には便潜血検査で引っ掛かったようで、実は便に血が混じっていないかだけしか見ていない検査だそうです。しかもこの検査、漏れもあるそうです。結局大腸内視鏡検査しないと分からないので、2年に一度受けるといいよと医師は言っているようです(参照)が、自覚症状がない場合全額自己負担です。現実的ではありません。ああ、ここでもポジショントークだなと思いました。

 公認心理師試験の勉強を少しずつしていますが、どうして自分は資格が嫌いなのだろうとつらつら考えています。一つは暗記が苦手だからでしょう。一つは努力したくないからでしょう。一つは資格が僕を嫌い、僕にレギュラーな受験資格を与えていないからでしょう。そして、嫌いな人々が絡んでいるからでしょう。性的虐待をしたのを笑いながら話す有資格者。特性に合わない虐待まがいの支援をして大きな顔をしている有資格者。投じた努力に現状が見合わないと感じているからか、ひたすら承認を求め、他人を否認する有資格者。投じた費用に見合わない収入しか得られない資格を与えることで地位や名誉や収入を得て平気な人々。

 そういった人々に怒りを覚えつつ、そういった者になりたくなる自分の醜さを僕は直視したくないのでしょう。そんな事を考えていると陰鬱な気持ちになってきます。気分転換に煙草を吸おうと思ったら、使い捨てライターがなくなっていました。昨年亡くなった元上司が、また僕に語り掛けているのかも知れません。「アホやなあ。」と。まあ余計な事はあまり考えず、出来る限りの努力をしようと思います。なんだかんだ言って、僕の嫌いな有資格者達は僕のできない努力はした人達なのでしょう。せめて同じ位の努力はして、その先に見える物を見たいと思います。

 明日検査をするので、今日は消化の良いものだけを食べるように言われました。具体的には野菜、海藻、茸等の繊維質を含むものは避けなければならないようです。21時に液体の下剤を飲み、以降は食事禁止です。しかし、下剤を飲んでも特段変わった様子はありません。大丈夫なのでしょうか?


2019年2月20日(水)[学習の心理学(4)~認知説・その他]

 今日は、認知説のうち新行動主義心理学とゲシュタルト心理学以外について、教育心理学の教科書に載っていた二人について調べたいと思います。

 まずはレヴィン(Kurt Zadek Lewin,1890.9.9-1947.2.12)の唱えた場の理論(field theory)。人間はその人の置かれた「場」に影響を受けるとされる(参照)考え方です。レヴィンは達成できなかった事柄や中断した事柄の方が記憶に残るというツァイガルニク効果(Zeigarnik effect)の研究や、青年期を表した境界人(marginal man)の概念でも知られているそうです。

 次は観察学習(observational learning)のバンデューラ(Albert Bandura,1925.12.4-)。観察学習はモデリング(modeling)とも呼ばれているようです。これは、モデルの行動を模倣して学習者が強化を受ける模倣学習の同義語として用いられるそうで、モデルが与えられる報酬や罰が学習者に効果をもたらす代理効果というものも唱えたようです。これらはバンデューラの社会的学習理論から来た物らしく、社会的学習理論では人は観察から学ぶ事ができるという事と内的な心の状態がこの過程では非常に重要だという事と何かが学習されたからといって、行動変化が生まれる訳ではないという事を言ってるそうです(参照)。観察学習はモデリング療法の基礎にもなっているのだそうです(参照)。バンデューラは自分に目標を達成する能力があるという自己効力感(self-efficacy)の提唱者としても知られています。

 今回参考にした教育心理学の教科書では、最近の学習分野ではアルゴリズム(algorithm)とヒューリスティックス(heuristics)の研究が盛んだと書かれていました。僕らの頃は先日書いたデシ(Edward L. Deci,1942-)とライアン(Richard M. Ryan,1953-)の内発的動機付け(intrinsic motivation)と外発的動機付け(extrinsic motivation)等(参照)辺りが強調されてたのかなぁ。


2019年2月19日(火)[学習の心理学(3)~認知説・ゲシュタルト心理学]

 ある24時間スーパーのイートインコーナーに以前よく行っていました。携帯の充電もできて便利だったのですが、しばらくご無沙汰していました。最近勉強のためにまたよく行くようになったのですが、以前はいなかった若い女がコンセントを占領しています。おかしいなと思ったら、そのスーパーはfree Wi-Fiをはじめていました。

 今回は、ゲシュタルト心理学(Gestalt Psychology)の方々の考えをまとめようと思います。ゲシュタルト(Gestalt)は形態と訳され、「全体性を持ったまとまりのある構造」を表すそうです。要素主義・構成主義的なヴント(Wilhelm Max Wundt,1832.8.16-1920.8.31)を中心とした心理学に対し、全体を要素に分けて研究して再構成しても元の全体が分かるわけではないと異を唱える形で20世紀初頭のドイツで起こりました(参照)。余談ですが、行動主義心理学(behaviorism psychology)もヴントは内観法使ってるけどそんなの科学的じゃないという批判から始まったらしいので、どっちもヴントの影響を受けている事になります。そういった意味でも偉大なんだなと感じます。

 このゲシュタルト心理学の創始者の一人であるウェルトハイマー(Max Wertheimer, 1880.4.15-1943.10.12)は、中心転換(recentering)というものを唱えたそうです。中心転換とは、「問題が構成される枠組、構造を別の構造として見方を切り替えることであり、この変更は中心をはずした見方から問題の本質、正しい中心への移行であることから中心転換と呼ぶ(参照)」そうです。次に述べる洞察学習の概念にも受け継がれているそうです。

 同じくゲシュタルト心理学創始者の一人であるケーラー(Wolfgang Kohler,1887.1.21-1967.6.11)が唱えたのが洞察学習(insight learning)。チンパンジーを使った実験で、ケーラーはそれを発見したそうです。用意するものは、チンパンジー、檻、バナナ、長い棒、短い棒。檻にチンパンジーを入れ、手と短い棒が届かず長い棒が届く所にバナナを置きます。手の届く所に短い棒を置き、手が届かず短い棒が届く所に長い棒を置きます。最初は短い棒を使ってバナナを取ろうとして失敗して荒れるチンパンジーですが、しばらく歩き回ったり周囲を見回したりして、突然短い棒で長い棒を引き寄せ、長い棒でバナナを取ることに成功します。ケーラーはこれを洞察した結果であると考えました。ソーンダイク(Edward L.Thorndike,1874.8.31-1949.8.9)の試行錯誤学習(参照)に対して、「解決行動が突然現れる」のが洞察学習の特徴だそうで、また同じ状況でも繰り返されて消えにくい傾向にあるそうです(参照) 。


2019年2月18日(月)[学習の心理学(2)~認知説・新行動主義]

 認知説とは、ものの見方や考え方(認知構造)が変化する事が学習であるという考え方です。認知主義においては表面的に何も変わらなくても行動の変容をもたらしうる知識の獲得が学習として重視されているそうです。一般的に認知説は連合説と対立し、行動主義とは相反するものであると考えられています。しかし、新行動主義(neo-behaviourism)の代表者であるトールマン(Edward Chase Tolman,1886.4.14-1959.11.19)は認知説の潜在学習(latent learning)の提唱者として教育心理学の教科書に頻出する人物です。

 トールマンはねずみを使った迷路脱出実験を数日間行いました。ねずみをゴールすると餌を与える群と餌をゴールしても餌を与えない群と数日間ゴールしても餌を与えず数日後から餌を与える3群に分けました。その結果、最後の群は餌を与えられるようになるお急激に誤反応が減りました。表面上は分かりませんが餌を与えられなかった間にもねずみは学習しており、強化された事でそれが顕在化したのだとトールマンは考えましたトールマンは学習によって作られた認知表象を認知地図と呼びました。潜在学習はこの認知地図を利用して行われていると考えたようです(参照)。

 トールマンの考え方は、S-S理論(Sign-Significate Theory)あるいはサイン・ゲシュタルト(sign-gestalt)説として知られているようです。S-S理論とは、ある刺激(sign)と意味のある目標対象(significate)との手段-目的関係の結び付きを表すそうです。サイン・ゲシュタルトとはその認知連合の事を指すそうです。環境の手がかりであるサインが与えられるとサイン・ゲシュタルトに基づいてそれが期待となり、目標対象へ向けた行動が生起する。というのがS-S理論であるようで、サイン・ゲシュタルトとはサイン(部分性)からゲシュタルト(全体性)が予測されて「こうすれば、こうなる」という認知の事を指すようです(参照参照参照)。こうした考え方はゲシュタルト心理学と近く、後の認知心理学にもつながるものでした。

 トールマンと同じく新行動主義の代表者でもあるハル(Clark Leonard Hull,1884.5.24-1952.5.10)は、従来の行動主義の刺激(独立変数)と反応(従属変数)の直接的な結合が行動であるという考え方に対し、その間に内的過程(媒介変数)が介在していると考えました。これをS-O-R理論(Stimulus-Organism-Response Theory)と呼んでいます。Organismとは有機体と訳され、1943年に書かれた行動の原理の中で提唱されたそうです(参照)。S-O-R理論は新行動主義の考え方として知られています。


2019年2月17日(日)[地域への貢献]

 今日は町内会行事。午後から仕事だったので、午前中だけ参加しました。先月の会議で係決めをした時に気配を消していたのですが、午前中だけでいいからと言われて渋々参加しました。もっと土日に暇な人がおるやろと思います。でも、町内会自体の参加者が少ないので、やるしかないのです。町内会の他の人達が色々して下さるので、何とかやれます。抑鬱状態で休みがちなときも我慢してくれていました。

 確かに地域に知り合いができるのは楽しいです。でも、もっと知り合い作りたい人がおるやろと思います。政治家になりたい人とかまず町内会役員の下っ端やれと思います。PTA会長をやって顔を売って市議選に出る人はいますが、長年町内会役員をやってて市議選に出た人を見た事がありません。そういう人はむしろ、市議選の裏方なんかにいる気がします。地域に知り合いだらけなのに。

 公共への貢献には色々な形があります。公務員は職務を通して国家や地域に貢献しています。しかし彼らは恵まれた労働環境で相殺されています。高額所得者は納税を通して公共に貢献しています。しかし現代社会では彼らは多数の低額所得者の代わりに多額の納税をしているとも言えます。ボランティアや公共セクターの低賃金労働者たちは職務と労務コストの削減によって公共に貢献しています。しかしその多くは限られた課題に対応しているので広がりがありません。その中でも町内会は狭い地域とはいえ横断的な枠組みなので、地方政治家になりたい人は経験してから地域を語って頂きたいなと思っちゃったわけです。

 まあそういうのは、候補者の責任ではなく政党の責任でもありますよね。政治塾とかやって候補者探ししてる政党が結構ありますが、そういうのもちゃんと教えて長期的な育成を心掛けて欲しいものです。地域を利用して議席を得る人は多いのでしょうが、地域に根差して地域を考え地域に貢献してる人は議会にどれだけいるのだろうかと思います。


2019年2月16日(土)[学習の心理学(1)~連合説]

 学習とは特定の刺激(stimulus)に対する特定の反応(response)の連合という考え方が連合説(S-R理論)です。パブロフの犬で知られるパブロフ(Ivan Petrovich Pavlov,1849.9.14-1936.2.27)は、無条件刺激(Unconditioned Stimuli)が無条件反応(Unconditioned Response)を引き起こすという生得的に備わった無条件反射(UnConditioned Response)に対し、無条件刺激に先だって条件刺激(Conditioned Stimuli)を提示する事を繰り返す事によって条件刺激だけで無条件反応が引き起こされるようになるという条件反射(conditioned reflex)を発見しました。条件刺激だけを繰り返していくと次第に反応は消去(extinction)できますが、数日後に同じ事をすると反応します(自発的回復)。これらは古典的条件づけ(classical conditioning)あるいは反射(response)を基本としているのでレスポンデント条件づけ(respondent conditioning)とも呼ばれています。これをもとにしてウォルピ(Joseph Wolpe,1915.4.20-1997.12.4)は行動療法(behavior therapy)のひとつである系統的脱感作療法(Systematic desensitization)を作ったそうです。

 連合説のもう一つの源流が、ソーンダイク(Edward L.Thorndike,1874.8.31-1949.8.9)です。問題箱の中に入れられて試行錯誤して外の餌を取ろうとする猫が、偶然取れた後は試行錯誤しないでも取れるようになるという試行錯誤学習で知られるソーンダイクは、刺激状況(S)と反応(R)の間の結合が強め(弱め)られる事で学習が成立するという結合の法則を唱えました。結合の法則は外の餌が猫の脱出反応を引き出す効果があるという効果の法則。猫が空腹であるという準備状態があるというレディネスの法則。何度も繰り返すという練習の法則の3条件により説明していています。効果の法則には、満足をもたらす反応は結合を強くするという満足の法則、不快をもたらす反応はその逆であるという不満足の法則、その満足や不快の程度が強さが結合力に影響する強度の法則の3つがあるようです。蛇足ですがソーンダイクは教育測定運動の父、教育評価の父としても知られているそうで、知能の多因子説も有名らしいです。

 パブロフの条件反射説に影響されて1913年のコロンビア大学における講演において「心理学の研究対象は行動である」という行動主義宣言を行い行動主義心理学(behaviorism psychology)を創始したのがジョン・ワトソン(John Broadus Watson,1878.1.9-1958.9.25)です。ワトソンは行動の単位は刺激―反応の結合であると唱えました。ワトソンの行動主義心理学の要素のひとつである行動の観察を心理学の研究手法とする方法論的行動主義(methodological behaviorism)は現在でも実験心理学の主流になっています。

 スキナーボックスで知られるスキナー(Burrhus Frederic Skinner,1904.3.20-1990.8.18)は、行動分析学(Behavior Analysis)、徹底的行動主義(radical behaviorism)でも知られています。彼のスキナーボックスの実験は、オペラント条件づけ(operant conditioning)とか道具的条件づけで知られています。オペラント条件づけとは、自発的な行動のあとに与えられる報酬=強化子(reinforcer)によって行動の頻度が高まる=強化(reinforcement)というものです。強化には必ず報酬が与えられる連続強化と与えられる時と与えられない時がある部分強化があります。報酬を与えないことで消去(extinction)できますが、部分強化の場合の方が消去抵抗が高いとされています。偶発的に報酬が与えられる場合でも頻度は上がるとされていて、迷信行動と呼ばれています。類似した刺激に対して条件反応が起こる事もあり、それは般化(generalization)と呼ばれています。報酬を与える行動を目標により近いものに変化させて行く事により新しい行動を形成(シェイピング)できるとされています。障害児教育ではオペラント法という支援法があり、発達障害児者支援でよく使われる応用行動分析(Applied Behavior Analysis)もこの考え方が元になっています。応用行動分析は、行動を先行条件(Antecedents)、行動(Behavior)、結果(Consequences)の要因に分けてどのような条件で行動が生じ、行動の結果として何を得ているかを分析しています。


2019年2月15日(金)[結局答えが見つからない]

 全国210か所の児童相談所(児相)が2017(平成29)年度中に対応した児童虐待相談件数は速報値で13万3778件。ずっと過去最多を記録していますが、その年に増加した原因は警察等からの通告が増えたためであると分析されているようです。特に、面前DVと呼ばれる心理的虐待の通告が増加しているそうです(参照。ちなみに2015(平成27)年度の件数は103,286件で死亡例は48例(52人)。子どもが亡くなった虐待ばかり報道されますが、児相はそれと比べ物にならない程多くのそうではない事案の海の中にいるわけです(参照)。悲惨な結果から要因となった誤った選択を探し出すのは比較的容易です。僕達には仮説に当てはまる事柄だけに注目しやすい確証バイアス(confirmation bias)というものがあるとされているからです。おまけに都合の悪い情報を無視したり過小評価したりする正常性バイアス(Normalcy bias・参照)というものもあるのです。しかし、普段の業務の中ではそれらは逆に事例の困難さを否定する方向に働く可能性があるのです。

 今回の事例は、リスクを適切に評価する難しさが明らかになりました。それぞれの段階でどのような理由でどのような評価をしたのかは今後調査されていくのでしょうが、家庭という一種のブラックボックスを評価するのは容易ではないだろうと思います。保護者が偽装工作もしていましたし、行政機関の弱味を突いて文書や理屈を使っていましたし、先日見たように保護者との関係を重視し、先日見たように、児童虐待防止法第9条の3第6項に沿って「適切に運用」しなければならない中で保護者に抗うのは大変だったのでしょう。

 また、保護者との人間関係を重視すると、ケースを易々と他機関に渡せない現状にも繋がります。児相が抱え込み過ぎるという批判は多いですが、人間関係を作っていく上では他機関に丸投げするわけにもいきません。また、連携すると会議等仕事は増えるわけで、児相の負担軽減を目的にするならば他機関との連携はむしろマイナスになります。そんな中、市が行った下の子の検診に児相職員が紛れ込むという形で連携を取られていたように、様々な機関が別のキャラ設定で支援していくという形もあるんだなと感じました。現行でも児相への虐待通告の半数近くは警察からのもの(参照)らしいです。これは、児相職員への同行だけでなく警察官職務執行法等を使って連携して支援していると捉えるべきなのでしょうか。

 娘さんに書かせた手紙から類推されるように「迷惑を掛けられた」という認識でもあったようですし、今回の保護者には精神医学的心理学的支援が必要だったのではないかなと思いました。そのためにも児相は人間関係を悪化させないよう留意されていたのだと思います。将来的には現在の家庭裁判所からの保護者指導の勧告のような形を発展させて保護者への支援に強制力を持たせることもあるのかもしれません。現状としては児童心理司を活用するとかになるんでしょうか。と色々考えてみましたが、あまり考えると勉強に差し支えますので、しばらく児童虐待からは離れようと思います。


2019年2月14日(木)[児童福祉の専門家は専門家なのかという問題]

 昼間働いてる事業所がグローバルな価格競争に敗れ、メインの仕事がなくなりました。利用者さんと新しい仕事をしていると、試行錯誤しながらやり方を洗練させている様子が目に見え、幸せな気持ちになります。人を変える事に幸せを感じる人もいますが、僕はその人が自分になっていくのを見る方が好きなようです。

 さて、児童相談所の職員の専門性について話題になっています。児童相談所の職員といえば児童福祉司ですが、どのような資格要件なのでしょうか。児童福祉司は、「社会福祉主事の資格を持つ、専門的かつ高度な者(参照)」なのだそうです。様々な資格要件がありますが、僕が大学を卒業した当時は「学校教育法に基づく大学又は旧大学令に基づく大学において、心理学、教育学若しくは社会学を専修する学科又はこれらに相当する課程を修めて卒業した者」であれば任用資格を得ることができていました。2004(平成16)年の児童福祉法改正により実務経験が追加され、現在では「学校教育法に基づく大学又は旧大学令に基づく大学において、心理学、教育学若しくは社会学を専修する学科又はこれらに相当する課程を修めて卒業した者であつて、厚生労働省令で定める施設において一年以上児童その他の者の福祉に関する相談に応じ、助言、指導その他の援助を行う業務に従事したもの(第13条の2第2項)」となっています(参照)。しかし依然として「都道府県知事の指定する児童福祉司若しくは児童福祉施設の職員を養成する学校その他の施設を卒業し、又は都道府県知事の指定する講習会の課程を修了した者(第13条の2第1項)」という要件が筆頭に掲げられており、講習会を受けただけでなれるという批判があります。そのため、児童福祉司を国家資格にしてはどうかという議論がたまに起きるのですが、社会福祉士と精神保健福祉士の団体が社会福祉士と精神保健福祉士を任用要件にすればいいと手前味噌な声明を出しています(参照)。現在でも社会福祉士と精神保健福祉士は児童福祉司の任用要件ですが、それだけにすればいいという事ですな。

 一方で、児童心理司という職種もあります。この資格は僕が大学を卒業した当時は心理判定員任用資格と呼ばれていました。こちらは2005(平成17)年の厚生労働省の児童相談所運営指針の改正で、児童心理司に変更されたようです(参照)。単に判定をするのみならず、心理学的な援助も期待されているのでしょうか。こちらの要件は以前と同様に「学校教育法に基づく大学又は旧大学令に基づく大学において、心理学を専修する学科又はこれに相当する課程を修めて卒業した者」、「又はこれに準ずる資格を有する者」(参照)なので、僕にもまだ任用資格があるようです。

 さて、先程「手前味噌な声明」と揶揄しましたが、児童福祉司の多くが社会福祉士か精神保健福祉士になると便利な点があります。それは、「社会福祉士や精神保健福祉士などの有資格者のほか、過去に教育や福祉の分野において活動経験がある者も含む(参照)」というスクールソーシャルワーカー(SSW)と資格要件が揃えられ、人事交流の可能性が出てくる点です。同様に、スクールカウンセラー(SC)の資格要件は臨床心理士、精神科医、大学教員らしい(参照)ので、児童福祉司の資格要件をこちらに揃えれば同様の効果が期待できます。個人的には社会福祉士も精神保健福祉士も臨床心理士も学校のための資格だと思いますので、受験資格に実務経験のみのコースを作るまでは信頼できないのですが(^_^;)


2019年2月13日(水)[児童虐待防止法と憲法第35条]

 日本国憲法の第35条には「何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。」と書かれています。第33条とは現行犯逮捕の事で、その他は令状なしでは住居、書類、所持品について侵入、捜索、押収されない権利があるわけです。第2項には「捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。」とありますが、ここでの「司法官憲」とは裁判官の事だそうです(参照)。

 そこで疑問が生じます。先日見た児童虐待防止法第9条の3の臨検、捜索は裁判所の許可状があるからいいとして、同法第9条(および児童福祉法第29条)の立入調査は憲法違反にならないのでしょうか。

 立入調査は行政調査の一つ(参照)だそうで、刑罰によって間接的に強制されている間接強制調査というもののようで、実力行使は認められないのだそうです。勝手な解釈ですが、罰則があることによって任意での協力を求めているという事になるのでしょうか。あるいは調査だからなのでしょうか。そのため、開錠等の実力行使をする場合のために第9条の3が設けられたという事のようです(参照)。

 立入調査に臨んだ際、保護者から憲法違反ではないのかと拒まれる可能性は充分にあると思います。そう考えると、そういった法令に関する知識はあった方がよいのだろうと考えます。例えば、野田市情報公開条例を知っていれば、保護者から求められたアンケートの開示についてワンクッション置くこともできたのではないかと思います。


2019年2月12日(火)[要保護児童対策地域協議会]

 昨日出た児童相談所(児相)と警察との連携と同様に、児相と教育委員会と市町村の福祉部門の連携が問題になっているようです。児童虐待で連携の要になると思われているのが、児童福祉法第25条に基づいて設置される要保護児童対策地域協議会(要対協)です。福岡市では要保護児童支援地域協議会(要支協)が区ごとに作られており、区役所の子育て支援課が事務局になっているようです(参照参照参照)。この協議会は児童虐待に特化したものではありません。対象は「要保護児童であり、虐待を受けている子どものほか、非行児童なども含まれ(参照)」ます。

 それでは、どのような機関が連携しているのでしょうか。「協議会の構成員は、法第25条の2第1項に規定する『関係機関、関係団体及び児童の福祉に関連する職務に従事する者その他の関係者』であり、地域の実情に応じて、福祉、保健、医療、教育、警察、司法等の関係者や民間団体、ボランティア団体等幅広い者を参加させることが可能(参照)」なのだそうです。早良区要保護児童対策地域協議会の構成団体は、区医師会、所轄警察署、県弁護士会、市立・私立保育園(所)、市立・私立幼稚園、市立小学校、市立中学校、区民生委員・児童委員協議会、保護区保護司会、区社会福祉協議会、児童養護施設、母子生活支援施設、NPO法人ふくおか・こどもの虐待防止センター、こども総合相談センター、区保健福祉センター(参照)なのだそうです。そうそうたる面々です。

 しかし、いくらメンバーが多くても実際活動していなければ話になりません。調べてみると要対協は代表者会議と実務者会議と個別ケース検討会議が行われるようです。代表者会議は円滑な運営のための情報交換・活動の評価を目的に開催され、年に1~2回程度行う事が求められています。実務者会議は具体的課題の検討・研修等啓発活動の実施を目的に開催され、定期的(1~3ヶ月に1回)行う事が求められています。個別ケース検討会議は要保護児童等に対する具体的支援内容の検討を目的に開催され、適宜行う事が求められています。他に福岡市では校区における要保護児童等に対する具体的支援内容の検討を目的に校区要保護児童支援ネットワーク会議が開かれています。ただ、開催頻度がきちんと決められているわけではないようです(参照参照)。

 今話題の某市にも要対協はありました。協議会を作ったからといって連携や情報共有が完璧に行われるわけではありません。会議だけの連携ではどうしてもタイムラグが発生します。また、情報の重要性に対する評価は人によって異なり、重要視していなかった情報が後になって意味を持つこともあります。現場の個人に丸投げするのではなく、日常的に情報共有ができる形をシステムとして作る必要があるのではないかと思います。また、会議自体が負担になるケースも考えられます。加えて、構成団体が多い事で傍観者効果(bystander effect・参照)が生じる可能性もあります。


2019年2月11日(月)[児童虐待への対応の流れ(3)]

 先日公認心理師現任者講習会のテキストを基に児童虐待への対応の流れを書きましたが、児童相談所(児相)がどの位権限があるのか今一つ分かりませんでした。そこで今回はちゃんと法律を読んでみたいと思います。

 まず、児童相談所が通告を受けた場合は面会等の「安全の確認を行うための措置を講ずる」と共に必要に応じて一時保護を行うようです(児童虐待防止法第8条第2項)。また、速やかに行わないといけません(第8条第3項)。都道府県知事は保護者に対して児童同伴で出頭することを書面で求め、調査することが出来る(第8条の2)とされているようです。出頭しない場合、立入調査をしないといけないようです。ただ、出頭要求をしない場合でも立入調査はできるようで、「児童虐待が行われているおそれがあると認めるとき」は立入調査が出来るようです(第9条)。この立入調査は児童福祉法第29条の立入調査と見なす(第9条第2項)ため、「職務の執行を拒み、妨げ、若しくは忌避し、又はその質問に対して答弁をせず、若しくは虚偽の答弁をし、若しくは児童に答弁をさせず、若しくは虚偽の答弁をさせた」場合、50万円以下の罰金に問われます(児童福祉法第61条の5)。罰金は2008年の改正で30万円から増額されたようです(参照参照)。つまり、立入調査には法的な強制力があるということになります。また、出頭や立入調査を拒んだ場合、再出頭要求もできるようです(第9条の2)。

 再出頭要求に応じない場合、地方裁判所、家庭裁判所、簡易裁判所に許可状を発行してもらい、児童の住所や居場所を臨検し、捜索することができます(第9条の3)。これも2008年の改正時に導入されたもののようです(参照参照)。ただし、「特に設けられたものであることを十分に踏まえた上で、適切に運用されなければならない(第9条の3第6項)」とあり、慎重な運用が求められているようです(参照)。また、許可状請求には児童虐待が行われている疑いがあると認められる資料、臨検させようとする住所又は居所に当該児童が現在すると認められる資料、当該児童の保護者が立入り又は調査を拒み、妨げ、又は忌避したこと及び再出頭要求に応じなかったことを証する資料を提出しなければならない(第9条の3第3項)と書かれていて、事務負担もそれなりにありそうです。と書きましたが、平成28年改正により、「立入調査の後に最出頭要求を経ずに裁判所の許可状により臨検・捜索が実施できるようにな(参照)」ったようです。

 最後に、警察との連携についてです。安全確認や一時保護、立入調査や臨検等の際に必要であれば、児童相談所長は管轄の警察署長に援助を求めることが出来ます(第10条)。2004年の改正により、児童相談所長および都道府県知事は「必要に応じ迅速かつ適切に」援助を求めなければならない事になりました(第10条の2)。また、警察署長が必要と認めたら所属警察官に警察官職務執行法等で定める措置を講じるように努める努力義務(第10条の3)もその改正で明記されました(参照参照)。


2019年2月10日(日)[一休みして政治活動をした話]

 選挙が近いらしく、久しぶりに政治活動に呼ばれたので行きました。街頭で活動中に、「アカが!アカの手先が!」と一見プロレタリアート風の紳士に罵倒されました。忸怩たる思いがしましたが、「アカ」の側もそういう方を「ウヨク」とか言って切り捨ててる訳ですからどっちもどっち。

 考えなどを含む知識のすべてを認知要素と呼んでいます。僕達はその認知要素を心の中で調和させて生きています。ただ、矛盾は生じるわけでその矛盾を認知的不協和と呼んでいます。政治活動をしている人は、皆さん正しい事をしているつもりでしょうが、反対されると矛盾が生じ、認知的不協和の状態になります。

 そこでそれらを調和するために合理化と呼ぶ方法で調整を図ります。矛盾する情報から離れる回避という方法や、認知要素の一方を変化させる方法や、認知要素の一方の重要性を低くする方法や、協和的な認知要素を加える方法があるそうです。結局僕達は、「ウヨク」を回避したり、彼等は間違っていると重要性を低下させたりします。

 現在の選挙制度では仲間の票を集めれば当選できるので、自分が「ウヨク」になったり相手を「アカ」にしたりしてどちらかを変化させる方法は非効率です。議会でも仲間の事だけ考えていれば再選されます。議会でお互いの政治姿勢を尊重しあって協和的な認知要素を加える必要はありません。つまり、現在の日本の政治では、合意形成を図るのは非効率的な行為なのです。お互いに言いたいことを言い合うのが一番理にかなっているのです。そのような姿から、政治不信が生まれているのではないかと感じた日でした。


2019年2月9日(土)[児童虐待への対応の流れ(2)]

 昨日は公認心理師現任者講習のテキストをもとに書いたのですが、その処遇方針に保護者が同意しなかったらどうなるのかが載っていませんでした。調べてみると、児童福祉法第28条事件という名称で家庭裁判所のサイトに出ていました(参照)。割とメジャーな問題のようです。

 この名称は、児童福祉法の「都道府県又はその委任を受けた児童相談所長は,保護者に児童を監護させることが著しくその児童の福祉を害する場合等において,施設入所等の措置が保護者である親権者等の意思に反するときは,家庭裁判所の承認を得て,施設入所等の措置を採ることができる(児童福祉法28条1項1号)」、「保護者が親権者等でない場合において,その児童を親権者等に引き渡すことが児童の福祉のため不適当であると認めるときは,家庭裁判所の承認を得て,施設入所等の措置を採ることができる(児童福祉法28条1項2号)」という条文に由来するもののようです(参照)。つまり、代替養育をすべきか判断するのは児童相談所で(児童福祉法第27条)、家庭裁判所の承認が得られれば保護者(または親権者)が同意しないてもよい(児童福祉法第28条)という事のようです(参照)。

 また、2017(平成29)年より「里親委託・施設入所の措置の承認(児童福祉法第28 条)の申立てがあった場合に、家庭裁判所が都道府県に対して保護者指導を勧告することができる(参照)」という制度が作られ、その指導の結果を家庭裁判所に報告しなければいけなくなりました。一時保護の間に代替養育が必要だと判断されれば子どもは施設や里親の所に行き、それに反対したら都道府県(現実は児相でしょうが)を通して家庭裁判所の指導を受けなければいけないという事になります。

 児相側にしてみても、在宅支援するならば保護者との良好な関係は必要です。「『新しい社会的養育ビジョン』を踏まえた児童相談所運営指針の見直しイメージ(参照)」においても、「児童相談所が相談援助活動を行うにあたり、まずは家庭復帰に向けた努力を最大限に行い、困難な場合には、親族・知人による養育を検討し、さらには特別養子縁組を検討し、これらが子どもにとって適当でないと判断された場合には、里親等への委託や児童福祉施設等への措置を検討すること」とあり、将来的にも家庭復帰を優先させるとされているようです。代替養育の場合も保護者との関係がこじれれば家裁の承認を得ねばならず事務負担が増えてしまいます。また、代替養育であっても保護者とは接していかないといけないでしょう。先の見直しイメージでも、「里親等への委託、児童福祉施設等への措置を行った場合においても、家庭復帰を見据えた親子関係再構築支援のため、市町村など地域の関係機関との連携や人材育成に協力するなどの体制強化を図ること。あわせて管外の児童相談所や民間養子縁組機関との連携を含め、養親の確保などに継続的に取り組むこと」とあり、保護者との接触が必要なようです。効果的に支援していくためにも、保護者との関係を重視しなければならないのも無理はないと思います(参照)。


2019年2月8日(金)[児童虐待への対応の流れ]

 児童虐待を発見した場合、僕達には通告する義務が生じます。児童福祉法には「要保護児童を発見した者は、これを市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所に通告しなければならない(児童福祉法第25条)」とあり、児童虐待防止法には「児童虐待を受けたと思われる児童を発見した者は、速やかに、これを市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所又は児童委員を介して市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所に通告しなければならない(児童虐待防止法第6条)」とあるのがその法的根拠です。ちなみに児童相談所全国共通ダイヤルというのがあり、全国どこでも189(いちはやく)とダイヤル(?)すれば児童相談所に繋がります。

 通告を受けた市町村や児童相談所は、情報収集や家庭訪問等を行います。原則として48時間以内に目視により児童の安全を確認する事になっています(2018年7月の緊急対策による)。そしてその後、子どもや保護者の生活状況等を確認していきます。子どもが家庭内にいて誰も確認できない場合、児童相談所は家庭に立ち入って調査を行う(立入調査)権限があり(児童虐待防止法第9条)、立入調査ができない場合は、家庭裁判所の許可を得た上で警察とともに家庭内に立ち入る事(臨検・捜索)ができます。

 そして、情報をもとに児童相談所等は処遇方針を検討します。深刻な虐待状況にある場合、本人の状況把握のため一時保護が行われます。一時保護は通常2週間から2ヶ月程度だそうで、保護者の意に反して2ヶ月以上行う場合は家庭裁判所の承認が必要です(参照)。一時保護の間にさらに情報を収集して処遇方針を決定する事になります。

 処遇には、在宅支援と代替養育があります。家庭での生活を続けながら改善を目指す在宅支援は、児童相談所が対応したケースの約9割なのだそうです。この場合、市町村に設置されている要保護児童対策地域協議会(要対協)で情報共有し、児童相談所、市町村、学校、警察等機関協業での支援が行われます。代替養育とは、里親や施設に児童の生活の場を移すものです。


2019年2月7日(木)[児童相談所とは何か]

 千葉県野田市での児童虐待が話題になっています。色々不可解な点もあるのでその件に直接触れる事はせず、検討するための基本知識を調べていこうと思います。なお、あまり意味がありませんが、本日よりこのページは文字コードがshift JISからUTF-8に変更されました。

 児童相談所は児童福祉法第12条に基づいて都道府県と政令指定都市に1つ以上設置しなければならない事になっています(中核市と特別区も設置できます)。業務としては「児童に関する様々な問題について、家庭や学校などからの相談に応じること」と「児童及びその家庭につき、必要な調査並びに医学的、心理学的、教育学的、社会学的及び精神保健上の判定を行うこと」と「児童及びその保護者につき、前号の調査又は判定に基づいて必要な指導を行なうこと」が挙げられていて、相談の種類としては児童虐待を含む養護相談と保健相談と心身障害相談と非行相談と育成相談が挙げられています(参照)。福岡市では地行浜にあるえがお館が児童相談所であり、福岡都市圏には他に春日市にある福岡児童相談所宗像児童相談所がある(参照)ようです。

 児童相談所には一般行政職員の他に、「精神衛生の知識のある医師、大学で心理学を学んだ児童心理司、また児童福祉司(2年以上の実務経験か、資格取得後、2年以上所員として勤務した経験が必要)などの専門職員が(参照)」いて、福岡市には課長級の弁護士も勤務しています(参照)。

 虐待ばかりがクローズアップされていますが、非行相談も児童相談所の大きな仕事のようです。非行少年については、14歳未満だと児童相談所に通告されます。つまり、触法少年(14歳未満で刑罰法令に反する行為をした少年)と14歳未満の虞犯少年(20歳未満で将来刑罰法令に反する行為をする恐れのある少年)は全員児童相談所に通告されるのです。また、家庭裁判所が児童相談所に送致する事もあります(参照)。


2019年2月6日(水)[忘却曲線と偽りの記憶]

 個別指導塾の講師が福岡地裁で懲役2年2ヶ月の判決を受けたのだそうです。小学6年生に対する強制わいせつの疑いによるものとの事。本人は否定していますが、教室内で指導中に長時間触ったのだとされているそうです。その個別指導塾に行った経験があるらしい傍聴マニアの知人は、そんな事は不可能だと言います。

 個別指導と言いながら講師と生徒は一対一ではなく、講師が複数の生徒を見て回る形式なのだそうです。一人の生徒の所にずっといるわけにはいきません。また、ブースがあるといっても壁はそんなに高くはなく、妙なことをしていたらすぐに他の講師や生徒に見つかってしまうのだそうです。それでも有罪になったのは、生徒の証言があったから。しかし、一般的に子どもに証言を求める際は年少になるほど自由再生による聞き取りは難しく、非誘導性(被暗示性)が高いため聞き取りには注意が必要とされているようです。

 エビングハウス(H. Ebbinghaus,1850-1909)は、人間の記憶が覚えた直後に急激に忘れ、時間がたつとゆっくりと忘れていく事を明らかにしました。忘却曲線という名前で知られているそれは、人間が多くの事を忘れてしまうと教えてくれます。また、体験した出来事についての記憶(エピソード記憶)は、出来事を体験した後で与えられた情報によって変化する事が知られており、事後情報効果と呼ばれています。

 記銘(符号化)したものを保持(貯蔵)し、それを必要に応じて想起(検索)するというのが、僕達が記憶する際のモデルです。事後情報効果は、想起の際に記憶が作られている事を示唆していると考えられているそうです。つまり、人間の記憶はあてにならず、人間の証言だけで誰かを断罪するのは間違っていると思うのです。


2019年2月5日(火)[内発的動機付けと外発的動機付け]

 僕は、努力が苦手です。だから、暗記は得意ではありません。つまり、試験向きではないのです。試験勉強は気が滅入るので、出来れば自分の好きな事を勉強していたら合格してしまったという勉強という行為自体が目的となっている(行為目的的な)流れが理想的です。

 しかしまあ、国家試験受験の為に既に10万円近く投資し、職場も休んで迷惑を掛けてしまったのですから、何とかして受からないといけません。そのためには、勉強を手段と見なし、過去問重視の勉強をするなどの合理的な勉強をしなくてはいけません。ああ、動機付けが段々外発的になっていく。

 行為自体が目的になっている動機付けをデシ(Edward L. Deci,1942-)とライアン(Richard M. Ryan,1953-)は内発的動機付け(intrinsic motivation)と呼び、行為が何かの手段になっている動機付けを外発的動機付け(extrinsic motivation)と呼びました。主体的な学習をするには内面的動機付けが必要だと学んだので前段落でがっくり来ているわけですが、近年は二項対立ではなく自律性の程度によって連続的に捉える考え方もあるそうです(参照)。

 国家試験に受かっても、僕は昇進も昇給もしません。恐らく、即仕事ができるようにもならないでしょう。ただ、今後心理学という切り口で根拠(evidence)ある仕事をしていくために勉強していくスタート地点に立ちたいだけです。そう考えると自律性が高い外発的動機付けであると言えます。そのために、過去問を解いてセルフモニタリング(self monitoring)しようかな(と考えないと過去問解く気になれない困った人なのであった)。


2019年2月4日(月)[自己実現理論(欲求階層説)]

 最近、処遇が不満で転職を考えている(または転職した)知人の話をよく聞きます。人事の希望が全然叶えられないとか、希望の休みが取れないとか、自分が昇進しない(他人が昇進した)とか。色々聞いてみると、承認と尊重の欲求が満たされていないように見えます。

 マズロー(Abraham Harold Maslow,1908.4.1-1970.6.8)は欲求の階層説において5つの人間の欲求を挙げました。その欲求のうち低次の欲求が満たされると高次の欲求を満たそうとするようになるというのが、自己実現理論です。マズローが挙げたのは、生理的欲求(Physiological needs)、安全の欲求(Safety needs)、愛情と所属の欲求(社会的欲求)(Love and belonging(Social needs))、承認と尊重の欲求(Esteem)、自己実現の欲求(Self-actualization)の5つ(参照)。つまり、自己実現を目指すためには、きちんと承認と尊重が為されている必要があります。

 欲求が満たされているのかというのは、恐らく主観的な判断なのでしょう。自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic personality disorder・参照)であれば、限り無き称賛なくして承認と尊重の欲求を満たせないでしょう。だからこそ、充足は難しい。近年僕は、バンデューラ(Albert Bandura,1925.12.4-)の言う自己効力感(self efficacy)が薄れていると感じます。自分の力が信じられないので、自分が承認され尊重されていないのではないかという考えに囚われやすくなっているように思います。

 学歴も地位も名誉もある知人がいます。なぜか最近心理系の資格を取り、仕事を辞めて他県の大学院に入るそうです。なぜそんな無駄な事をするのかと思いましたが、よく考えたら彼は教育学部出身。福祉系国家試験の受験資格がありません。僕も学歴に沿って心理系の資格に挑戦しようと思ったので、ある意味近くにいるのかもしれません。彼と僕の動機が承認欲求でなく、自己実現欲求であることを祈っています。


2019年2月3日(日)[中年期危機]

 大学の後輩が、日本屈指の名門私立大学の准教授になっています。昨日ブックオフに行くと、彼が書いた概説書が出ていました。分かりやすそうなのに詳しく、とてもいい本だと思いました。でも、高いし僕には難しそうだったので、買えませんでした。知り合いの活躍が嬉しい反面、取り残されているような寂しい思いもしました。同じ大学なのが不思議な位優秀な人だったので、嫉妬とかはないのですが。

 うだつの上がらない人生を送っていますが、最近ちょっとそれが気になるようになってきました。臨床心理学では最近、中年期危機(Midlife crisis・参照)が指摘されているそうです。ユング(Carl Gustav Jung,1875.7.26-1961.6.6)は中年期を人生の正午と呼んだそうです。今から人生下り坂になる折り返し地点という事でしょうか。後述するハヴィガーストもそういう変化への対応をこの時期の課題に挙げています。

 他の心理学者達も、中年期の様々な課題を指摘しています。エリクソン(Erik Homburger Erikson,1902.6.15-1994.5.12)のライフサイクル論によれば、成人期(前成人期・成人期初期)における心理・社会的発達課題を親密vs孤立、壮年期(成人期)における心理・社会的発達課題を生殖性vs自己吸収(停滞性)として、前者はパートナーとの親密な関係と揺るぎない自分の獲得を、後者は次世代を育みその育ちに喜びを感じる事により限定された自己を超える事を目指している(世代性・世代継承性(generability))とされました(参照参照参照)。レビンソン(Daniel J. Levinson,1920.5.28-1994.4.12)は生涯発達の視点から、人生には生活構造の安定期と過渡期が交互に訪れると考えました。40代前半は人生半ばの過渡期に相当し、これまでの人生を見直して内面的変化を迫られる時期であり、エリクソン同様次世代を育む時期であるとしました。

 また、ハヴィガースト(Robert James Havighurst,1900-1991)は中年期における発達課題として経済力の確保と維持等を挙げています。中年期に差し掛かる頃には色々格差も出てきて、それらの発達課題を達成出来た人と出来なかった人との差が出て来やすいのかもしれないと思います。だから、僕らは苦しいのかもしれません。


2019年2月2日(土)[synchronicity]

 理由が分からないのに涙が出る現象は、そばにいる誰かに共鳴したためだという楽曲を先日聞きました。ナントカ坂64なる若い女性達のグループのシンクロニシティという楽曲です。去年の春に出たものらしいのですが、初めて聞きました。シンクロニシティ(synchronicity)とは「因果関係がない2つの事象が、類似性と近接性を持つこと(参照)」を表し、共時性と訳されます。分析心理学(Analytical Psychology・参照)の創始者にしてコンプレックス(complex・参照)研究でお馴染みのユング(Carl Gustav Jung,1875.7.26-1961.6.6)が提唱した概念です。

 しかし、例えユングの言う集合的無意識(Collective unconscious・参照)が存在したとしても、「理由なんて何も思い当たらずに涙が溢れる(参照)」というのは「誰だってある(参照)」事ではありません。目あるいは精神的な疾患の可能性があります。精神的にきついときは、僕も理由なく涙が出てきていました。

 「不意に気づいたら泣いて(参照)」しまっていたら、誰かの助けを求めるべきです。そんな時にさえ誰かの悲しみに思いを馳せるのは美しい。しかし、その前に自分の悲しみに思いを馳せるべきです。医療機関でも、いのちの電話でも、労働基準監督署でも、労働組合でも、保健室でも、家族でも、友達でもなんでも構いません。

 この歌は、全人類的な共感を歌った物なのでしょう。しかし、新入社員向け紳士服のキャンペーンに使用された(参照)事実は、僕にはとてもグロテスクに感じます。この先精神を病んでしまってもそれは気のせいである。あるいは精神を病んでしまっても全人類との共感を感じて乗りきればいい。そんなメッセージを受け取ってしまうのです。どうやらそう感じる人が少ないらしいのが救いですが。


2019年2月1日(金)[人間性主義的・体験的心理療法]

 高校一年の夏ごろ、僕によそのクラスの母親から一本の電話が掛かって来ました。僕のクラスの3人とは付き合ってはいけないと力説します。何でも高校の方針に反対しているからだとか。

 どのような友人関係が人生の害になるのかは、結局死ぬまで分かりません。悪意を持った人に気付いていないとかならともかく、それは各々が選ぶ事であり、害があったとしても僕達にはそれを越える力があるはずです。

 と、強引に持って来ましたが、来談者(クライエント)には自ら問題を解決する能力があり、カウンセラーはそのお手伝いをするだけだというのが、ロジャーズ(Carl Ransom Rogers, 1902.1.8-1987.2.4)のクライエント中心療法(Client-Centered Therapy・参照)です。ロジャーズはマズロー(Abraham Harold Maslow,1908.4.1-1970.6.8)が創始した人間性心理学(humanistic psychology・参照)の一員です。

 来談者中心療法は人間性主義的・体験的心理療法に分類されるそうで、他にゲシュタルト療法(gestalt therapy・参照)、フォーカシング(Focusing・参照)、感情焦点化療法(Emotionally focused therapy・参照)、フランクル(Viktor Emil Frankl,1905.3.26-1997.9.2)の実存的心理療法(Logotherapy・参照)等があるそうです。


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